『好きに生きたい』誰かに振り回される人生でいいの?




 

『好きに生きたい』誰かに振り回される人生をやめる

 

こんにちは

 

 

加藤あやめです。

 

 

好きに生きる,自由,アフィリエイト,加藤あやめ

 

 

 

『自分勝手やな〜。』

 

 

 

 

ひと言目に返ってきた言葉です。

 

 

 

 

私は、いま、オマケの人生を生きていると思っています。

 

 

 

そして、ベルトコンベアの上に流されている規格に合格した品物のように、

 

 

誰かに時間やスケジュールを管理され、同じことの繰り返しの毎日を流されるように過ごすことも、

 

身体も心もすり減らしながら、がむしゃらに働き続けることも、

 

気がすすまないのに、好きな友人でもなく楽しく過ごせるわけでもない人との気を使いながらのランチや遊びに付き合うことも、

 

 

 

自分のやりたいことではないのです。

 

 

 

 

『好きなように生きたい。』

 

 

 

これが本音なのですね。

 

 

 

自分で決めた時間に、自らのタイミングで仕事をし、

 

身体も心も穏やかに、

 

一緒にいて気持ちが安らぐ大切な友人や家族と、会ったりご飯を食べたり…。

 

 

 

 

そういう気持ちを大事にしたいのです。

 

 

 

 

言葉に出す人は少ないのかもしれませんが、

 

「好きに生きられたらいいのにな。」と頭の中でつぶやいたことがない人なんているのでしょうか…。

 

 

 

非現実的で、無茶なことを思っているのではないだろうかと、
そのことを考えたり言葉に出すことを控えているだけなのではないでしょうか。

 

 

 

先日、私が『好きに生きたいねん。』と言葉を発したときに、

 

側にいた友人が返してきた言葉が  『自分勝手』  だったのですね。

 

 

 

 

けれども、好きに生きたいと思うことが、どうして自分勝手なのでしょうか。

 

 

 

一度しかない自分の人生、

 

残りの時間なんて誰にも分からないことですし、

 

社会や見ず知らずの誰かに決められた通りの生活スタイルを持ち過ごさなくてはいけないと、そんなにも思わなければいけないのでしょうか。

 

 

 

考えてもみてください。

 

もしも、“こうあるべき”と決められた枠の中におとなしく収まり声をあげず過ごしていて、

 

数年後、その時間が無駄ではなかったと報われる時が必ずやってくるのでしょうか。

 

 

 

私は、そんなことを頭の片隅でいつも思っていたような気がします。

 

 

 

“好きに生きたい。”

 

 

 

それは、“自分の生き方に向き合いたい。”

 

そして、自分らしくいてたよねっと納得する時間を持つことができたかどうかなのかもしれないと思うのです。

 

 

 

つまり、“好きに生きたい”と感じるのは、

 

誰かに迷惑をかけるとか、勝手気ままをごり押ししたいと言っているわけではなく、

 

 

自分が、最後に納得し、よかったなと実感できる時間の過ごし方ができたと感じるかどうかを、思い、考えるということでの言葉なのですね。

 

 

 

けれども、他人との会話には、そこまでの言葉が出なかったりもしますし、

 

そもそも、理解して聞いてみようという人も少ないのかもしれません。

 

 

 

私は、後悔したくない。

 

 

 

それだけなのです。

 

 

 

どうして、誰のために、誰かが決めた「規格内に収まる生き方をしなければいけない。」というようなルールに縛られていきなければいけないのでしょうか。

 

 

 

本当は、きっともうわかっているのです。

 

そんなルールはないということを。

 

 

 

“こうでなければいけない”と、世の中から認められない人間になってしまうのではないかという思い込みから、
自ら作り上げてしまった古い価値観や常識が、

 

 

「規格外」ではいけないのだと、枠の外にはみ出るという考えを遠ざけようとしていただけなのかもしれませんね。

 

 

 

けれども、好きなように生きたいと思い、世界に飛び出し見えない努力をしている人も沢山いますね。

 

 

その人達は、『好きに生きたい』から『好きに生きる』へと動いた人達なのですね。

 

 

 

 

打たれて痛いと感じられる心があれば変われる

 

 

 

“出る杭は打たれる”けれども、

 

”出過ぎた杭は打たれない” のが日本のならわしなのだそうです。

 

 

 

型枠に収まり、出過ぎない杭で収まることを“よしとする”

 

 

 

そんな風潮が未だありますが、出過ぎてしまえば認めるのだそうです。

 

 

 

民族性から生まれた文化だそうですが、
要するに、人と違うことをしたり、個性を出す人を叩くのですね。

 

 

 

まして、名もない凡人が新しいことに挑戦しようと考えたり、

 

普通の主婦が商売を始めたりなどをすると、その端で見ている人の中には、表向きは笑顔でも陰口でじわじわ叩き、つぶれることを期待している気持ちを隠し持っていたりする人は少なくないのですね。

 

 

 

つまり、自分よりも目立ち輝こうとしていることが面白くないのです。

 

 

 

ですから嫌がらせをし、足を引っ張り、引きずり下ろそうとする。嫉妬や妬みですね。

 

 

 

あまり、いい文化には思えませんが、こういう光景は残念ながら現実にあります。

 

 

 

杭は出なければ、打たれることもありませんが、出ないということは存在がないということです。

 

 

 

けれども、もしもそれが自分の“心”だとしたら、どうなのでしょう。

 

 

 

心や感情が無いもの。

 

 

 

つまり、機械や物と変わらないということになります。

 

 

 

『好きに生きたい!』

 

 

 

 

その思いを“杭”に例えたとしたら、自分勝手ではなく、自分らしい生き方を考えるということなのではないでしょうか。

 

 

 

 

つまり、社会の仕組みの中に無難に収まり、同じ繰り返しの日々に疑問を感じ、

 

自分の人生を見つめ直してみたいという繊細さがあるからこその思いなのですね。

 

 

 

ですから、私は『自分勝手』と、あっさりかたづけてしまう友人の言葉に何かが引っかかったのだと思います。

 

 

 

 

自由に、そして好きなように残りの人生を自分が納得する時間にしたいと思うことは、自分勝手ではありません。

 

 

 

むしろ、その「規格内」とする常識から一歩踏み出し、外れるということには勇気がいります。

 

 

 

それまで自分が良しとしてきた、生活リズムや物事のとらえ方、常識に待ったをかけ、ひっくり返してみようということなのですから、
気持ちの部分ではとてもエネルギーが必要です。

 

 

 

それこそ、約束された明日はありませんし、自分の行動がそのまま自分にかえってくるのですから。

 

 

 

けれども考えてみて下さい。

 

自分に用意された時間枠には、どれだけ自分の納得する行動が埋め込まれていますでしょうか。

 

 

 

例えば、自営業のパン屋さんならば、まだ陽の上がる前からの仕込みに追われますね。

 

睡眠時間を削り、家族や大切な人とのゆとりある時間を過ごすことはとても厳しいことが想像できます。

 

 

 

好きなこととして選んだ仕事ですから、誰にも文句は言えないでしょうし、納得しているのかもしれません。

 

 

 

けれども体力勝負ですから、いつまでできるかは分かりませんし、誰かの歯車ではないけれど、自分自身が労働の本体そのものなのです。

 

つまり、故障や不具合が出てしまったとしたら、止まってしまうということです。

 

 

 

 

会社員なら、決められた出勤時間に合わせて自分のスケジュール管理を行います。

 

 

 

好きなことをするとなると、たまの休日や、自宅に帰ってからのわずかな時間だけになってしまいます。

 

 

 

それを、当たり前と飲み込みます。

 

 

 

けれども、それを当たり前の人生としてしまうと、本当の自分の気持ちや今ある命の意味を考えたとき、

 

自分を粗末にし、簡単に片づけてしまっているような気になってしまいます。

 

 

 

そんなことを感じたり考えたりすることを、非難し、見下す空気感は未だにありますね。

 

 

 

そして、「規格内」に収まることに納得しているその時点で、
もうすでに社会にとって都合のいい歯車のひとかけらに収まるように、仕組まれた洗脳に浸っているのかもしれないのですね。

 

 

 

そう思いませんか。

 

いつからなのかも気が付かないうちに、誰かに“こうあるべき”という常識を植え付けられ過ごすことに、疑いを感じずに生きてきたということなのですから。

 

 

 

その結果、自分が得られたものに何があるのでしょうか。

 

       ・ 

 

       ・

 

       ・

 

 

企業や、一部の裕福な人が更に私腹を肥やすために、都合のいい規格内の歯車の一つに育ったにすぎないのです。

 

 

 

 

私は、一般的と言われるような「規格内」での生き方をしている友人には、

 

簡単には理解してもらうことができず、「規格外」=ダメ人間的なような印象を与えたのかもしれませんね。

 

 

 

けれども、何者かに踊らされ、振り回されていることに気づいていないのか、

 

それとも、疑いを感じながらも仮面を付けたまま、「規格内」に収まることにしがみついているのかは分かりませんが、

 

『好きに生きたい』という想いに対し、「自分勝手」という言葉が浮かんだというのは、どういうことなのでしょう。

 

 

 

 

私は、国や社会にとって都合のいい仕組みの中で、まんまと教育され作られた常識に踊らされていることに気づきました。

 

 

 

ですから、今からでも自分の心の自由を感じることができる『好きに生きたい』を、実践することにしたのです。

 

 

 

誰にとっても、今の時間もこの先の人生も、こうでなければいけないというシナリオなどありませんね。

 

 

 

『好きに生きたい』と思うことは、自分らしくありたいという心の叫びでもある尊い意思なのではないでしょうか。

 

 

 

 

もしも、『好きに生きたい』という心や想いを“杭”とするならば、「自分勝手」と言った言葉は杭を打ってきた“金づち”なのかもしれませんね。

 

 

 

けれども、私は、好きに生きる想いの杭を持っていてよかったと思います。

 

 

 

好きに生きる手段として、パソコン一つでできるアフィリエイトと出会ったのですから…。

 

 

そして、今の時代だからこそ、自由な生き方を求めたいという想いを持っている人であれば、誰でも『好きに生きる』生き方に変えていくことができるのですね。

 

 

 

 

 

明日生まれ変わったって 結局は自分の生まれ変わり

 

この心 自分のもの 

 

世界をどうにでも作り変える

 

どういじればどうなるか

 

本当は ちゃんと 知っている  ずっと…

 

                     /BUMP OF CHICKEN

 

 

加藤あやめ

 

好きに生きる,自由,アフィリエイト,加藤あやめ

 

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