今日は残りの人生の“最初の日”




 

「イライラする!」酒でも飲まんとやってられん!?

 

こんにちは

 

 

加藤あやめです。

 

 

 

 『疲れるねん。あほ相手にするのは。』

 

 『根本的になんにもできない人。

 

 できるのにしない人。

 

 周りが見れない人は会社でいらんねん。』

 

 

 

先日、知人から届いたメールの第一声に書いていた言葉です。

 

 

ちょっとびっくりしました。 会社でよっぽど嫌なことがあったのでしょうね。

 

 

イライラして疲れたとこぼしてきました。

 

 

 

会社という組織に勤めていると、自分の評価を下げないために上司の目を気にすることを基準にした言葉を選び、部下や後輩には振り回されてイライラする。

 

 

 

などという話は日常茶飯事で、もうそれが普通のこととして受け流してしまう毎日が繰り返されていますね。

 

 

 

完全に麻痺しています。

 

 

 

毎日がそんなことの繰り返しだと、冷静に本来の自分の生き方を見失いますし、見失っていることにすら気が付かずまた同じ日々の繰り返し。

 

 

 

正直、私はこんな暴言にも近いようなグチを聞くことに付き合わされるのかと思うと少し気が滅入ってしまいました。

 

 

 

それに、同情する言葉を待っているのかもしれませんが、そんなことをしても根本的には何も解決しませんし、

 

思ってもいない“なだめる言葉”を使うのは嘘っぽくて私自身がいやです。

 

 

 

かといって、否定的な言葉を返されることを望んでいるわけではないこともわかりますから、私は言葉を選ばなくてはとしばらく考えました。

 

 

 

そして、肯定も否定もなく、『そっかー。』と一旦そのまま受け止めたのですね。

 

 

 

それはあえて多くの言葉を返さないことで、少し時間が経てば冷静に考え、イライラした感情もクールダウンして修まっているかもしれないと考えたからなのですね。

 

 

 

ところがしばらくして、『今日は飲まないって決めてたけど、飲まなやってられんわ。』 と知人からの更なる言葉。

 

 

 

そして、『今日からしばらくお酒を控えるって言ったのに、意思が弱くてダメだな〜。ごめんなさい。』とこぼしてきました。

 

 

 

知人は今の会社で取らなくてはいけない資格の試験がもうすぐあり、今日からは気合いを入れて勉強するんだと言っていたのですね。

 

 

 

今まで何度かトライしては落ちての繰り返しだったそうで、今度こそはと思っているらしいのです。

 

 

 

会社で仕事してくたくたになり、終わってからの勉強はそうそう容易なことではないことは想像できます。

 

 

 

ですから、トライするその意気込みは敬い真似たいところです。

 

 

 

けれども、おそらくこの日は勉強できなかったでしょうね。

 

 

 

 

お酒は私も好きな方なので、ちょくちょくといただきます。

 

 

 

ほんのり酔うと気分が解放されて楽しい気分にさせてくれますし、普段よりも感情豊かになる気がするので、リフレッシュできるアイテムの1つです。

 

 

 

けれども、想像してみてください。

 

 

 

いいお酒の飲み方ならば楽しい時間になりますが、イライラの延長線上からのお酒はきっと悪酔いしてしまいますね。

 

 

 

きっとこの日、知人のお酒は“いいお酒”ではなく、“やけ酒”に走ったのだろうと想像がつきます。

 

 

 

何があったのか、どんな理由でイライラし、グチを放ってきたのか細かいことは私には分かりません。

 

ただ、人をアホ呼ばわりし、会社にいらん、と大きく宣言した貴方は、自分が見えているのだろうかと感じずにはいられませんでした。

 

 

 

確かに、使えない上司や部下に振り回されていると、イライラもするでしょうし、やってられん!と感じることもたくさんあると思います。

 

 

 

それなのに、自分もその会社にどっぷり浸かっていて同じ思考に染まり、イライラさせる側と同じ要素を持っているのだという自分の姿が見えていないのですね。

 

 

 

更に、その会社で必要とされる資格を取りたいと自分で望んでいて、試験に受かるも落ちるも自分次第なわけですね。

 

 

 

少し考えてみてください。
『意思が弱くてごめんなさい』は、他人の私に言うことではなく、自分自身に言ってあげる言葉なのではないかしらと思いませんか。

 

 

 

“お酒を呑む” を選択したのは自分ですから、それも“自分の意思” なのですね。

 

 

 

イライラして、それこそ人を“アホ”と称えるならば、その爆発しそうな感情を自分の身になる勉強へのエネルギーへと持っていけたら、大きな原動力になっただろうにな、と思わずにはいられませんでした。

 

 

 

もう少し考えてみてください。
人は何かに挑戦したり、日常と違うことをする時には、背中を後押ししてくれる理由や精神的なエネルギーを必要とすると思います。

 

 

 

この日の知人にとっては、そのイライラのエネルギーが1つのチャンスだったのかもしれないと思いませんか。

 

 

 

 

お酒に向くのではなく、机に向かい仕入れたい知識を脳に埋め込んでいくエネルギーになれば、力を発揮できたかもしれないと思うと少し残念に感じてしまいます。

 

 

それに、自分の知人の口から余りきれいとは思えない乱暴な言葉を聞くのは、いい気持ちがしませんね。

 

 

 

 

とは言え、こういうことはよくある話で、私自身にも当てはまるのです。

 

 

 

 

私もかつては毎日会社に通勤して働いていましたから、その組織によっては、“何だかおかしな習慣があるよなー”と感じたり、“何でこんな人に偉そうに上から目線でアゴで使われなきゃいけないのよ”と、ムッとするような経験はあります。

 

 

 

しかも、お給料を払っているのは、その嫌な同僚ではないわけですから、何様のつもりで言ってるのよ、などの腹が立つ感情も湧いてきてしまいます。

 

 

 

けれども、組織に雇われている身での仕事だから仕方ないと諦めもついているので、感情を表には出さずその場をやり過ごし、無かったことにしようと自分をごまかしたり時にはお酒に逃げることもありました。

 

 

 

この知人と同じですね。

 

 

 

ただ、後味はスッキリしないのです。

 

 

 

自分の感情を抑えてごまかしてみても、お酒に逃げても、何も解決していないわけですし、翌日になると重い体がその現実を更に色濃く鮮明にし遠慮なくのしかかってくるのですね。

 

 

 

無難におとなしく仕事をしていれば、その日食べていけるだけのお給料は手に入ります。

 

 

 

けれども、私はこんな生活をずっと続けていくために生きているのだろうかと…と、ふっと頭に虚しさがよぎると無性にやり切れない気持ちになります。

 

 

 

ですから、そんな自分の感情を誤魔化すためにも余計なことは考えず、自分の気持ちは心の底に封じ込めて、その場その日をやり過ごす。

 

 

 

“そのうちいいことがあるかもしれない。 けれども、事故や病気になって何の楽しみもなく落ちていくかもしれない…”

 

 

 

そんなモヤモヤとした感情が心の片隅にあることをわかりながらも、自分の感情を偽りながら過ごしていたのですね。

 

 

 

けれども、生き方を考え自分と向き合ってみたいとやっと思えた矢先に、プロフィール記事にも書いていますが本当に病気になってしまいました。

 

 

 

 

私は今、自分が納得できる会社で数日のみ仕事に行くスタイルを築いたので、職場における仕事でのストレスやイライラは全くと言えるくらいありません。

 

 

 

大きな組織ではなく、子育てや家事をこなしながら精一杯働いている女性が中心の職場だからなのかもしれませんが、逆にそのパワーに頭が下がります。

 

 

 

そして、私は自分の未熟さを改めて感じさせてもらえていて刺激を受ける機会になっています。

 

 

 

もちろん、いつまで続けられるかなんて分かりませんが、それでも今はこの生活リズムがちょうどよく合っています。

 

 

 

私がそんな心のゆとりが持てるようになったのも、働き方に対する固定概念を取っ払ったからなのだと思います。

 

 

 

週に一日か二日の休みをもらうだけで、ほとんどの日を働きに出ていくことが正しくて、どんな仕事であれ毎日を追われるように働きに出て行くことが当たり前で、それをしていない人は、ダメ人間として世間から見られる。

 

 

 

その様な偏った固定概念に、少し前まで自分で自分を縛り付けていたのですね。

 

 

 

けれども、もっと自由に生きている人もいます。

 

 

 

そんな自由に生きている人など、元々お金持ちで裕福な家庭に生まれ育った人か、芸能人のような有名人でもなければありえないと思っていました。

 

 

 

 

けれども、そうでもないのかもしれないと思えるようになったのが、ブログを始めるきっかけだったのですね。

 

 

 

 

何のスキルもなく、生まれ持った才能がなくても、自分次第で切り開ける可能性がある時代なのだと気づきました。

 

 

 

そもそも、一昔前の身分制度などがある時代だったならば、それこそ自由を体感できる人は一握りの位の高い位置に生まれた人だけにしか許されなかったわけです。

 

 

 

でも、今はそんな理不尽な制度などありません。

 

 

 

 

にも関わらず、自分で自分を理不尽な環境に持っていこうとするおかしな思考がまだまだ根付いていて、自ら不自由な社会の歯車に収めようとします。

 

 

 

おかしな話ですね。
それは、親や大人社会から、そうすることが正しいのだという偏った教えに対し、何の疑問も疑いも持たずに育てられてきた結果のたまものなのですね。

 

 

 

 

都合のいい歯車に収るように洗脳されていることにすら気づかず、頑張った結果、今度は歯車から外れて自分の気持ちに素直になろうとすると、洗脳を解くことに時間がかかります。

 

 

 

 

ですから、迷い、人の評価が気になったり、人と同じではないことで安心感を感じられず、不自由な社会と分かりながらもその歯車の中に無難に馴染んでいようとするのだと思います。

 

 

 

でも、考えてみてください。

 

たった一度の人生。

 

 

 

心をなくして、いくらでも替えのきく歯車にしがみつき収り、イライラして過ごすのはあまりにも勿体ないと思いませんか。

 

 

 

 

どうせ、お酒を呑むのなら、やけ酒ではなく、気の合う人と楽しい時間を共有しあいながら、美味しく味わいたいと思うのは私だけではないはずです。

 

 

 

私は、年々人に対してイライラすることはほとんどなくなったのですが、
それよりもむしろ、自分がだらしなく感じたり、今日はこうしようと決めているのにも関わらず、できていない自分に情けなくなり落ち込み自分を責めてしまうところがあります。

 

 

 

でも、人に振り回されているのではなく、自分の行動次第なので、誰をも責めることはできません。

 

 

 

人のせいにして逃げるのは簡単ですが、自分に対する自分の目は本当は誤魔化しが効かないのだと思います。

 

 

 

これはきっと、他人の評価ではなく、自分自身が自分を評価していて責めてくるということなのでしょうね。

 

 

 

自分がこうありたいと思っているものは、他人のためではありません。

 

 

 

最終的には自分のためなのですね。

 

 

 

だから、全ての行動はどんな結果になろうと自分の足跡なのだと思うのです。

 

 

 

今、一歩一歩、大切に歩んで生きたいと改めて感じています。

 

 

 

他人の行動にイライラして振り回されるのではなく、そのエネルギーを自分の幸せに結びつく行動に繋げられたらいいですね…

 

 

加藤あやめ

 

 

 

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