『やりたくないこと』はわかる




 

『やりたくないこと』はわかっているのかも・・・

 

こんにちは

 

 

 

加藤あやめです。

 

 

 

『やりたいことがわからない』 からの続編になるのかもしれませんが、、、思う事を綴ります。

 

 

 

先日、家事をしながらの横目で何となくテレビを見ていたのですが、まだ20代の若い男の子を取り上げたドキュメンタリー番組が目に止まり、途中からでしたが少し見入ってしまいました。

 

 

 

 

その画面から垣間見えた彼は、美しい山や川に囲まれた地方に生まれ、その土地で育ってきた様なのですが、物静かに自分を見つめている印象を受け、私は思わず家事の手を止めていたのですね。

 

 

 

 

同じ年頃の仲間の多くは、進学や就職で都会に出て行くことを前提に過ごしていて、高校を卒業すると同時に故郷を出て行くことが当たり前の様にその土地を離れていったそうです。

 

 

 

 

けれどもその彼は、当たり前の様に町を離れてみんなと同じ様に上京するということに、なぜか気持ちがしっくりこなくて、周りから良しと促される方向へすんなりとは進むことができなかった様なのですね。

 

 

 

 

この町に生まれ、この町で育ち、この町が好きなのに、どうしてわざわざ好きな町を離れ、都会に出て行かなければいけないのか…と。

 

 

 

 

“ある程度の年齢になれば、故郷を離れて都会に出て行くもの” という暗黙の習慣に違和感や疑問を感じたのですね。

 

 

 

 

私はちょうどそのテレビ番組を見た同じ日に知人と何気ない世間話の中でこんな会話がありました。

 

 

 

一人の知人がこう話しました。

 

「この前さ、九州出身の友人に、

 

 “都会の人は何で大人になっても親元を離れず実家で暮らしているの?出て行くのが普通なのに。おかしいわ。”

 

て言ってきてねー。  私の息子が家に住んでて、自分の実家から仕事に行ってることが、変やって言うねん。  九州やったらみんな出て行くのに親元に居てるのはおかしい!てえらい言われたわー。」と。

 

 

 

すると、そこに居合わせていた別の知人が、

 

「私も九州出身やけど、みんな出て行くっていうのはオーバーやわ。 出て行かんもんもいっぱいおるでー。」

 

 

という様なやり取りをしていたのですね。

 

 

 

 

この知人に話してきたという九州の友人の意図するところは、おそらく、 “大人になっても実家で生活している人が都会には多いので、社会人として甘えている” という辛口な意見を伝えたかったのだと思いますので、それはそれで都市部に生活してきた私にとっても少し耳の痛いところでもあります。

 

 

 

それはさておき、集団就職という言葉があるように、確かに田舎に生まれ育った人は就職を機に都会へと上京し、一人暮らしをすることが多いですし、もしかするとそれが当たり前として学校や親から指導を受けているのかもしれません。

 

 

 

 

企業の多くは都会に集中しています。その分だけたくさんの求人があるわけですね。

 

 

 

 

ですから必然的に、都市部に行けば仕事がたくさんあり地方には仕事が少ない状況があります。特に東京の求人数は、都会とされている大阪でも比べものにもならないほど桁違いに多いです。

 

 

 

 

つまり、働き口を探し求め就職を考えた時、仕事のある都会に人が流れ出ていくのですね。

 

 

 

 

けれども、話を戻しますと、始めにお話しした田舎から出て行くことに疑問を感じた彼の気持ちを少し考えてみてください。

 

 

 

やりたい仕事があり、それが都会に上京しなければできないことであるならば、きっと明るく前向きな気持ちで故郷を旅立つのでしょう。

 

 

 

けれども、やりたいことが都会にあると感じているのではなく、とりあえず都会に行けば仕事があるだろうという感覚だけで、大好きな自分の故郷を周りの人と同じ様に離れなければいけないかの様な風潮に対して、自分の心と向き合ったのだと思うのです。

 

 

 

もしも、都会で会社に就職し、会社員としてやりたいことがあるわけではなくとも、とにかくどこかに就職して 「企業の一員として立派に働いています。」 と言えば、世間体は保てますし、それなりの会社に勤めれば毎月決まったお給料がもらえ、福利厚生も充実していて安心できる気がします。

 

 

 

けれども、“やりたいことではなく、社会人としてみんながしていることだから自分もしなくてはいけないのだ。” と、自分の気持ちを無視した働き方を選ぶことが、自分の幸せに繋がるかどうかは別なのではないでしょうか。

 

 

 

 

今、やりたいことが分からなくても  “こういう生き方はしたくない” という気持ちは、純粋に心の中にあり、彼は自分の気持ちと向き合ったのですね。

 

 

 

彼は、生まれ育った町をとても愛していました。

 

 

 

 

きれいな川や山の風景があるこの町で生きていきたいという自分の素直な心の声に気が付き、自分の気持ちに正直でいたかったのですね。

 

 

 

 

では、一体この町で自分が何の仕事をしたいのだろうかと悩んだようです。

 

 

 

 

その町でやりたいことがあったわけではなく、この町で自分を模索しながらも生きていきたいという気持ちが先行していました。

 

 

 

そして見つけたものが、その町ならではの自然を相手にした伝統産業でした。

 

 

 

 

どうも正直なところ、その仕事に特別憧れていたわけでもなかったようで、好きかどうかもやったことがないわけですから分かりません。

 

 

 

けれども、この町だからこその歴史のある産業なのです。そこに町を離れず生きていきたい彼は関心を持ったのですね。

 

 

 

 

近年は、時代の流れから若い人がどんどん都会に流れてしまうため、後継者として伝統を引き継ぐ人も少なくなり、衰退してしまった伝統や文化も沢山あります。

 

 

 

 

そんな時代の流れに、“仕方が無い” と一言で片づけてしまうのは簡単ですが、彼は自分の愛している町の衰退していく姿を見ることに心が寂しいと感じていたことから、不安を感じ迷いも感じながらも、弟子入りすべく門を叩いたのですね。

 

 

 

 

自然を相手に、それこそ何の技術も知識もないところから始めたわけですから、自信もなければ、毎日が修行で辛いときの方が多いでしょう。

 

 

 

こんな選択をして本当に良かったのだろうかと悩んだ日も少なくなかったようでした。

 

 

 

 

けれども数年経ち、彼はこの町の伝統産業に関われているという思いと、愛する自分の故郷で生きているんだなっという思いがじんわりと湧いてくるときがあり、この選択をして良かったと今は心で感じているそうです。

 

 

 

 

そもそも、私たちはやりたいことが何なのかがわからないと感じたとき、その答えを周りの社会の風潮に合わせてみんなと同じような生き方をした方が正解なのだろうなと思いがちです。

 

 

 

そして、人と違う答えをだすと自分は間違っているのだ、と妙な焦りを感じてしまいます。

 

 

 

 

けれども考えてみてください。
自分の人生なのですから、自分がどういう生き方をしていきたいのかをじっくり考えて出す答えに、本来、正解も間違いもないのです。

 

 

 

大人だからといって、こうありたいと思っている自分の心にふたをして、やりたくないと感じることを我慢して選び、心がしっくりこない生き方や働き方をしても一体何が自分の身になるのでしょうか。

 

 

 

 

イヤイヤ行っていることから吸収できるものなど、はたしてどれだけ自分に価値のあるものとして残るのでしょうか。

 

 

 

 

結局は自分を粗末にしていて大切にはできていませんね。

 

自分が自分の心を大切にできていなければ、知らない間に心は荒んでいき他人をも粗末にするようになるでしょう。

 

 

そして、その事自体にも何の疑問も抱かない貧しい人間になってしまうのは、悲しいことですね。

 

 

 

 

彼は、大人になってやりたいことが分からず、模索しながら始めたこと。

 

その選択は、“どんな生き方をしたいと自分の心が思っているのか” を基に日々手探りで取り組んだことによって、結果、 “やり続けたいこと” に巡り会えていたのですね。

 

 

 

 

PS

 

 

本来どんな仕事をするのも、生き方をするのも、“こうじゃなければいけない” という決まりなどありませんし、他人の誰かが決めるものでもありません。

 

 

 

例えば、物作りの職人を目指しているのならば、毎日コツコツと作業を繰り返し失敗の連続を乗り越えながら少しずつ技術を身につけ高めていきます。

 

 

 

辛いと感じる芽の出ない時期には迷うこともあるでしょうし、時には投げ出したくなることもあるでしょう。

 

 

 

 

それでも、自分がこうありたいと思う気持ちから始めたことならば、やり続けることができる様に思います。

 

 

 

 

そして、続けていくことで気づけたり見えてくるものもあるのだと思います。

 

 

 

 

同じ苦しい作業をするのなら、自分の心が納得するものを選んで進めた方が、気持ちよく生きていける気がしませんか…。

 

 

 

 

 “今日は残りの人生の最初の日…”  今の自分の心が明日の自分を造っているのだと思います。

 

 

一本の線

 

私の引いた一本の線は言い訳ができない。

 

逃げも隠れも一切できない。

 

どこにも、誰にも、

 

責任をなすりつけることができない。

 

一本の線は、私と一体になっている。

 

私そのもの。

 

 

あなたの人生も、一本の線。

 

 

篠田 桃紅

 

 

 

加藤あやめ

 

 

 

 

 


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