『やりたいことがわからない…』それでもいいと思う




 

『やりたいことがわからない…』 それでもいい。

こんにちは

 

 

 

加藤あやめです。

 

 

 

 

 

 

 

 

“好きこそものの上手なれ” という言葉があります。

 

 

 

 

その言葉のとおり好きなことは誰かに指示されるわけでもなければ、億劫な気分でイヤイヤしているわけでもなく、自らの意思で自然と取りかかっています。

 

 

 

 

そして、気が付くと没頭していてあっという間に時間が経っていたりしますね。

 

 

 

 

それはきっと楽しいんだと思います。 その時間が心地よいのだと思います。

 

 

 

 

ここで言う“楽しい”というのは、ワイワイと賑やかに過ごしているという意味ではなく、自分の世界に入り込み、我を忘れるくらい好きだと感じられているという意味ですね。

 

 

 

 

けれどもそこまで夢中になれる “好きなこと” を持っている人は、はたしてどれだけいるのでしょうか。

 

 

 

 

私は、“夢中になれるほど好きなことがある” というのは、それだけで大きな財産だなと羨ましく感じることがあります。

 

 

 

 

 

少し私の話をします。

 

私は物心がついた頃には音楽がとても好きでした。  歌うことも、演奏することも、聴くことも。

 

 

 

 

 

たしか初めて買ってもらった様に思うのですが、アニメの主題歌が何曲か収録されていたレコードがあったのですね。
そして、その曲に合わせて大きな声で歌ったり踊ったりしていたような記憶が微かに残っています。

 

 

 

 

ただ、ある頃から素直に音楽が“好きだ”とは感じられなくなっていたのですね。

 

 

 

 

 

それはきっと、習うようになり “義務” になってしまったからなのだと思います。

 

 

 

 

 

どういうことかと言うと、 “やりたいな。” のワクワクが失せてしまい楽しさを感じるどころか “やらなければならない。” と、ため息をひっそりと飲み込みながら、イヤイヤするようになっていたのですね。

 

 

 

 

 

「…練習しなければ、怒られる。お母さんの機嫌が悪くなる。だから、イヤイヤでもしなければならない…」

 

 

 

 

 

 

なぜ、しなければ怒られるのかなど、意味も理由も納得していない子どもの私は、ただ、お母さんに怒られることが恐いから、毎日譜面に向かっていたのですね。

 

 

 

 

 

素直に “好きだ” と思えていた感覚も、“自分の気持ちが納得していない義務” が先行してしまうと全く楽しくありませんし、それどころか苦痛になります。

 

 

 

 

 

大好きだったことが、いつの間にか苦痛に感じてしまう嫌いなことに変わってしまうというのは、あまりにも寂しく悲しいことですね。

 

 

 

 

 

考えてみてください。

 

「今、何がやりたいことなのかがわからない。したいことが浮かばない。」 と感じている人は、決して少なくないように思います。

 

 

 

 

けれども振り返ってみたら、きっと、今まで生きてきた中で1つや2つは好きだったことや、やってみたいと思うものがあったのではないでしょうか。

 

 

 

 

ただ、親や学校など大人社会からの教育を受けていくうちに、どこかに置き忘れてきてしまい、心躍る楽しいことや好きなことが何なのかがわからなくなってしまっただけなのかもしれません。

 

 

 

 

けれども、思うのです。
大人は大人で、子どものためになると思って良かれと思い育ててきているのだと。

 

 

 

 

親も、初めて子どもを持ったときは親としてゼロからのスタートなわけですから、手探りで子育てをしているのですね。

 

 

 

 

「この子のためにこうした方がきっといいんじゃないかな。ああしてはいけないよな。」などと、熱心ならば熱心なほど、 “その子のためになる” と考えているのです。

 

 

 

 

脇道に逸れないように線路をひいてあげたくなり、ケガや危険な目に遭わないようにと守りたい思いから、好奇心旺盛よりも、目に留まる範囲に収ってくれていることで安心したりするのだと思います。

 

 

それは、子どもに対する愛ゆえにのことだったのだろう思えるので一概に親や大人を責める事はできません。

 

 

 

 

ただ、そういう教育を義務教育として子どもの頃から受けてきた世代の一般庶民の私たちが、親や大人の期待に応えなくてはと、いい子でいようとしてきた結果、

 

大人になって“自分のやりたいことがわからない、好きなことが無い、何がしたいのかが浮かばない”と感じてしまうことは、ある程度必然的に起きていることではないでしょうか。

 

 

 

 

 

つまり、自分の意思を持ち、反論したりだだをこねるようなことをすれば、大人の機嫌が悪くなるのですから、大人の意見が絶対的という環境に育っている場合、自分の意思を持たないように封じ込めることで、立場の弱い子どもは自分を守るより仕方が無かったのだと思うのです。

 

 

 

 

 

そういう環境で育ってきたことによって、“自分のしたいことをする”という感覚よりも、“周りの意見に合わせて無難なことをする”という他者から扱いやすい社会人が溢れるようになってきたのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

そんな中、「自分のことなのに、自分のしたいこともわからないの?」と、言う人もいますね。

 

確かに “自分のことなのにね” と、とても正論を突きつけられる気がします。

 

 

 

 

 

人生の先輩方から、“こうしなさい” “こうすることが正しくて貴方のためになるのだ” とひたすら学歴を積み頑張ってきた結果、自分自信が何かに興味を持ち、自らの意思で素直に取り組んでみるという感覚が鈍くなってしまったのですから、正論を突きつけられても苦しくなりますね。

 

 

 

 

ですから、今、自分の “やりたいことがわからない” と胸の中に抱えているのだとしたら、そんな自分を否定したり責めたりしないであげてください。

 

 

 

今、そのことに気づけたわけですから。

 

 

 

 

そして、心がワクワクするような楽しく取り組める気がするようなものを、選択してもいいのだと感じられたとしたなら、今から始めればいいのではありませんか。

 

 

 

 

PS

 

 

 

 

私も、今スタートしたところです。

 

 

 

 

生きてきた時代によって、社会の常識も考え方も変化します。

 

 

 

 

私は40歳を過ぎて、大した職歴もない初老期を迎えた人間です。

 

 

 

 

数年前、生きていくためのわずかなお金のためだけに、“したい仕事では無く、何とかできる仕事” を探して資格の勉強をし、履歴書を何枚も書きました。

 

 

 

 

就活と言えば今の時代、猫も杓子も黒のスーツに黒のカバンに黒の革靴やパンプス。

 

髪は黒く染め直し、長ければ1つにまとめて、個性を封じ込めて何とも無機質な姿を良しとします。

 

そんな若い人に混じりながら私も同じ様に就職フェアーなどにも参加して…

 

 

 

 

けれども、私の心は“義務”に支配されていました。

 

 

 

 

勤めに出なければ、社会人として白い目で見られるのだろうと思いがちです。

 

 

 

 

実際、初対面の人の多くは「何のお仕事をしているのですか?」「どちらにお勤めなのですか?」などの質問から話を切り出してきたりしますね。

 

 

 

 

そんな会話の受け答えに無難に答えることができる肩書きを求めていたりします。

 

 

 

 

でも、私は本当に大切な人に対しては、肩書きに魅力を感じるのではなく、その人の笑った顔や優しさや思いやりが垣間見えるところなんかに引きつけられる魅力を感じます。

 

 

 

 

そして、ロボットのように感情を出さず完璧な人でいることよりも、不器用ながらも人間味溢れる言葉を精いっぱい伝えようと向き合ってくれたり、時には悩んだり考え込んだりしている姿をちゃんと見せてくれたりすると、心で感じ向き合ってみたいと思えます。

 

 

 

 

周りに流されて、“こうあるべき” に捕らわれすぎず、自分のやりたいこと、“こうなりたい”の本音に自分自身が気づけると素敵だなと思いませんか。

 

 

 

どんな仕事が向いているのか、したいと思っているのかが分からなくてもいいのだと思います。

 

 

 

 

それよりも、一体自分はどんな働き方をして、これからどんな生き方をしていきたいのか。

 

 

 

 

そして、どんな “人” でありたいと思っているのかを、自分の心に素直に問いかけてみませんか。

 

 

 

 

 

追伸

 

今は、また少しづつ音楽を楽しく感じて活動もすこ〜しづつ 始めました。

 

 

加藤あやめ

 

 

 

 

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