『一寸先は闇』思い通りにいくと思ったら大間違い!




 

『一寸先は闇』思い通りになっていましたか?

 

こんにちは

 

 

加藤あやめです。

 

 

加藤あやめ,アフィリエイト,一寸先は闇

 

 

今思えば、私は昔からほとんど計画性がなく、何となく流されるままに毎日を過ごしていた様に思います。

 

 

周りのみんなが学校に行っているから、私も行っている。

 

 

心から“楽しい”“ワクワクする”と感じているわけでもなく、行きたいと思っているのでもなく、

 

 

“子どもは無条件に学校に行かなければいけないものなのだ”と思っていたのですね。

 

 

 

「当たり前でしょ」と、思われるかもしれませんね。

 

確かに、日本の義務教育の制度があるお陰で、全ての人が平等に学ぶ機会を持つことができる、とても有りがたいものなのだと今は思いますが、子どもですからその様な理屈を理解もしていなければ、考えたりもしませんね。

 

 

 

何のために難しい勉強をし、テスト前にはひたすら詰め込んで一夜漬けの暗記をしているのだろう。

 

 

例えば、“気が付いたら何時間も過ぎていた”という程のめり込む位、興味を感じることだったら苦痛ではなく、むしろ楽しく取り組めると思いませんか。

 

 

ゲームが好きな人ならば、夜通し徹夜でゲームをしていて、気が付いたら空が明るくなっていた。なんて話も聞きますね。

 

 

 

好きなこと、興味の湧くことが自然に湧き出たとしたら、そういうことに出逢えるとうということって、本当はとても貴重なのかもしれないと思うのです。

 

 

 

けれども、十代の頃の私は、机に向かってする勉強がどうにも嫌いで、イヤイヤ気分でしていたのです。

 

 

ただ、点数が悪いと再試験があったり、皆が楽しそうに遊んでいる夏休みに補習を受けに学校に行かなければいけなくなる。

 

 

そして、親の顔色も険しくなります。

 

 

それがイヤだから、とにかく試験前は机にかじりついてみる。。。

 

 

つまり、自分の将来に何がどう役に立つのかは分からないけれど、決められている事だから毎日学校に通い、学校から与えられた皆と同じ教科書で勉強する。

 

 

たとえイヤでも学校に通い勉強しなければ親や学校の先生に怒られる。

 

 

だから、行く。

 

 

 

その程度の意識で過ごしていたのです。

 

 

 

そんな状態で一時的に詰め込んだ勉強など、知識として残るわけがありませんね。

 

 

当然ながら、その試験が終わるともうその勉強をクリアしたこととして次の章に進んでいくのです。

 

 

次の試験の頃には、スッカリ頭の中から抜け落ちていて、おまけに次の試験には必要がなかったりするわけです。

 

 

ですから、せっかく覚えた以前の勉強内容を忘れ去っていたとしても、大して気に留めることもなくスルーしていて、日が迫っている目の前の試験勉強のことだけしかもう頭にはないのです。

 

 

 

今だからこそ、そんな過去の自分の姿をふり返り感じられることがあるのですね。

 

 

勉強するというのはただ詰め込むものではなくて、
『知識』としてきちんと身についてこそ意味があるものだったのだということをです。

 

 

 

もしかすると、大人達はそう教え伝えていたのかもしれませんね。

 

 

 

私が、単に深く考えない年頃で、聞く耳持たず、右から左へと聞き流していただけなのかもしれませんが、

 

心身ともに幼い私は深く考えることもなく、“その場しのぎでも何となくやっていて、取りあえずクリア出来ればラッキー”という感覚で過ごしていたのです。

 

 

 

そして、それこそ何の考えもなく、何となく流されて過ごしているけれど、いつか大人になれば自由になれるような気がしていたのです。

 

“こうあるべき”は、なくていい!?

 

 

大人にとって“いい子でいる”ことこそあなたの可能性は失われているかもしれません。

 

少し子どもの頃の話をしますね。

 

私がまだ小学生だった頃の私の母は、ご近所のお母さんよりも少し、、、いえ、私の記憶の中ではとても厳しくて、“母の言うことは絶対”だったのですね。

 

 

周りの友達がまだ遊んでいても、私の家の門限は早かったのですね。

 

 

 

『○○ちゃんはまだ帰らなくてもいいって言ってるから私も遊びたい。』と訴えたことがありました。

 

 

すると、母はこう言うのです。

 

 

『よそはよそです。』

 

 

『うちはうち。うちの子であるならば、うちのルールを守りなさい。ママの言うことが聞けないのなら、うちの子にいらないから出て行きなさい。』…

 

 

 

そのような厳しさというのでしょうか。

 

“母は絶対”という空気が我が家のルールだったのですね。

 

 

 

父は、典型的な団塊世代のサラリーマンでしたから、朝早くに会社にでかけ、帰りは日付が変わるか変わらないか、という遅い時間なわけです。

 

 

顔を会わすのは、会社が休みの日くらいな状況ですから、家庭内のことはほぼほぼ母が仕切っている。

 

 

そうせざるを得ない環境だったのだと思います。

 

 

ですから、必然的に“母が絶対”ルールができあがったのでしょうね。

 

 

 

私はそんな環境で過ごしていました。

 

 

 

あるとき私は近所の公園で妹や近所のお友達と遊んでいて門限を過ぎてしまったのです。

 

曖昧な記憶ではありますが、夏の終わりを迎える頃の門限で5時か5時半だったと思います。

 

私は帰らなければいけない時間を過ぎていることで、母に叱られるという恐怖がずっと頭の中にありましたから、すでにもう、遊んでいてもちっとも楽しくはないのです。

 

 

 

そして、遅くなればなるほど、怒られるのは分かっているのだけれど、母が怖くて足が家へとなかなか向ないのです。

 

加藤あやめ,アフィリエイト,一寸先は闇

 

 

門限を過ぎて、10分が過ぎ15分が過ぎ…と、帰るに帰れなくなってしまったのです。

 

 

とうとう1時間近く経ってしまっていたと思います。

 

 

『怒られるのが恐い。』

 

けれども、私の帰る家は母が待っている家しかありません。

 

 

怒られる恐怖を抱えながら、重い足取りで帰ったのですね。

 

 

遊び場から自宅の玄関までなど、ほんのわずかな距離にも関わらず、随分遠い道のりを歩いてきた様な気分で玄関に立ちました。

 

 

そして、お約束通りです。

 

玄関のドアのぶを押しても引いてもドアは開きません。インターホンを押しても応答すらしてもらえないのです。

 

『遅くなってごめんなさい! 開けてちょうだい!ごめんなさい!。』

 

半分ベソをかきながら、ドアを叩きましたが簡単にはドアの鍵を開けてはくれません。

 

 

少しして、母がドア越しにこう言います。

 

『いいって言うまでそこで立っていなさい。なぜ、立たされるのかをよく考えなさい。』

 

 

 

その間、中学生や高校生の学校帰りの少し年上の人にチラッと横目で見られて恥ずかしい気持ちにもなります。

 

仕事帰りのご近所のサラリーマンのおじさんなどから、かわいそうにと言わんばかりの目で見られている視線が辛く、私はうつむいて立っていた気がします。

 

 

一瞬、通り過ぎる足取りをゆるめ、声をかけるかどうかを迷っていそうな様子が分かりましたが、よけいな事を言うことでもないと考えるのでしょうね。

 

誰もが黙って、見えなかったこととしているかのように黙って通り過ぎていきます。

 

 

 

9時頃まで玄関ドアの前に立たされていました。

 

やっと、玄関の鍵が開き、母に中に入るように言われてからも、すんなりとは家に入れてもらえないのです。

 

また玄関の中で靴を脱ぐこともなく立たされ、とにかく静かに怒られるのです。

 

 

その時、妹も一緒にいたのですが、妹は“足がだるい。痛い。”と、泣きながら座り込みますが、その態度が母を更に刺激することになり、そのあげく私達はまた更に立たされる…。

 

 

私は、妙に生真面目な性分が出てしまい、座る勇気もなく、気にせず座り込む妹に腹が立ったり羨ましく感じたことを今でも覚えています。

 

 

 

(なぜ、こんなにも怒られるのか、、、。)

 

 

心配してのことなのだと、分からないわけではないのです。

 

 

けれども、頭ごなしに怒られると恐怖が先に立ち、親の顔色を伺いながら過ごすようになってしまいます。

 

 

子どもながらも自分の気持ちや意見がありますね。

 

 

実際、私の母は“自分の意見を持ちなさい。”と、怒る度に言っていたように記憶しています。

 

 

けれども、私の思いを伝えたところで受け入れてもらえることが殆どないのですね。

 

 

 

そんな環境で過ごしていた私は、いつしか自分の意思はワガママでしかなくて、母に怒られないためには、反論せず言われたことに従い守っていくことが自分の身を守ることになるという防御を身につけてしまいました。

 

 

反論するのにも、意思を通すのにも、エネルギーを使うのです。

 

 

いい子でいる方が、疲れなくてすむのですね。

 

 

無意識なのですが、周りの大人からはおとなしくてお母さんの言うことをちゃんと聞くいい子だと褒められていた記憶があります。

 

今思うと、いつ頃からそうだったのかの記憶は全くありませんが、私は妙にいつも落ち着いていて、ふざけたりはしゃぐことはなく、むしろ友達とワイワイと過ごすことが苦手になっていました。

 

 

 

ここで、少し考えてみてください。

 

子どもの頃に遊びを通じて、人との関わり方を学んだり、
自分らしい時間の使い方や自分らしい考え方、発想、行動の仕方を経験する事で、得られる判断力や個性、身につく生きるための術などがあるのだと思いませんか。

 

 

ということはです。
ある意味、いい子でいるということは、大人にとっていい子なわけであって、その子自身にとっては、可能性の芽を摘まれてしまっている良くない状態なのではないでしょうか。

 

 

少しオーバーな表現かもしれませんが、大人がその様々な可能性の芽を摘んでしまうことで、大人が安心していたいだけ。

 

 

先にも述べましたが、『怒る』というのは“怖い”という恐怖を先に植え付けてしまいますね。

 

 

本来ならば、なぜ叱られているのかを考える機会となり、その人にとっていい経験になったと捉えられるものとなれば理想なのだと思います。

 

 

けれども、“怖い”から、回避することが先行されてしまうと、自発的に行動することを遠ざけるようになるのかもしれませんね。

 

 

『怒る』ではなく、『ちゃんと叱る』が、その人にとって身になるのもなのだろうな、と感じませんか。

 

 

そのことに気が付かなければ、いつしか無意識にその様な社会に適応していき、やがて同じ事を我が子にしていたりするのかもしれません。

 

 

 

 

 

続けますね。

 

就寝時間も同世代の友達より早くて、学校に行くと昨日のテレビの話題を皆でしていて盛り上がっていたりするのですが、私には分からないのです。

 

 

実際には、電気を消して真っ暗になった子ども部屋でお布団に入りおとなしくしているだけで、
襖一枚向こうにいてる両親の気配と隙間からもれて入ってくる話し声やテレビの明かりに、疎ましさを感じていたのを思い出します。

 

 

 

あるとき、こんなことがありました。

 

『加藤ちゃー』と、からかわれながら呼ばれたとき、私は何の事かが分からなかったのですね。

 

 

どういうことかと言うと、
その頃、ドリフターズというテレビ番組が子ども達の人気番組だったのですね。

 

 

 

けれども、私は見せてもらえなかったし、そのテレビ番組のことを知らなかったのです。

 

 

ですから、からかわれて言われていることが何の事なのかも分からず戸惑いを覚え、知らないことで更にバカにされた様に笑われている気がして、とても嫌な気持ちになりました。

 

 

加藤茶さんや、志村けんさんという存在を、知らなかったのと、その後も、その番組を観させてもらうことは、我が家では叶わなかったのですね。

 

 

 

どうして、私の家は皆と同じ様にテレビを観てはいけないのか。

 

時間がきたら、真っ暗に電気を消した子ども部屋に押し込められるのだろうか。

 

 

大人だけ遅い時間までテレビを観て楽しそうにしたり、父親だけがいつも少し豪華なお造りやおかずがあって、私達子どもは静かに寝なければいけないのか。

 

 

 

幼い私は、そんなことを感じながら、大人っていいな…と思って過ごしていた時期があったのです。

 

 

 

 

そのせいでしょうか。

 

大人になれば、自由になれる。

 

 

 

どんな仕事に就いたとしても大人になれば自由に生きられて、
どこかに就職すれば自由に使えるお金をたくさんもらえるのだろうと思い込んでいたところがあったのです。

 

 

 

そして私がまだ十代で思春期の頃、
世間はバブル真っ最中で、子どもの私から見える大人の世界はまぶしくて、とても自由に映ったのです。

 

 

 

“早く大人になりたい。”

 

“早く社会に出たい。”

 

 

 

そうしたら、テレビだって自由に観られるし、オシャレな服をたくさん買ったり、門限を気にせず友達と遊びに行ったり、

 

恋人と色んなところに出かけたり、といいことがいっぱいあるだろうなと憧れを抱きました。

 

 

 

夢見る女の子だったのです。

 

 

 

なんの根拠もなくです。

 

 

若さゆえの私の無知と、当時の社会の雰囲気が、大人になり、どこかに勤めて仕事をしていれば不自由なく楽しい生活ができるものなのだと錯覚を起こさせたのですね。

 

 

 

中途半端な“箱入り娘”の環境で育ってきたためなのか、
そもそもが一般的な日本の教育システムがそうだったのかはわかりませんが、

 

少なくとも、私は家の中でも学校でも、『大人の社会の仕組み』をきちんと学ぶ機会に恵まれること無く過ごしてきたように思うのです。

 

 

 

そして、お金のことを真剣に知ろうという意識を持つこともなく、知らなければいけないという思考すら持ち合わせることなく過ごしてきてしまったのです。

 

 

 

 

ですから、当然ながら、働く事でどれ位のお給料がもらえるものなのかということも深く考えたこともなければ、
収入を得るためには、一般的にはどこかの会社に雇われて働くことで成り立つものだと疑うことなく過ごしていたのです。

 

 

 

もちろん、自営業で会社を経営していたり、お店を運営している人が存在することは分かっていましたけれども、
そんなことができるのは、一部のお金持ちの人だけがすること。

 

あるいは、先代から受け継いで商売を営んできているというような環境に育ってきた人だけが出来るもののように感じていて、
学校を卒業したばかりの一円も持っていない私が何かの商売を自分で始めるなどという事を考えることは一ミリもありませんでした。

 

 

当然、どこかに勤めに出ることが、お金を手にする唯一の方法だとしか思っていませんし、

 

社会人になりたての若い人でも、頑張って働けば月給20万円くらいはもらえるものなのだろうというアバウトな感覚で思い込んでいたのですね。

 

 

そして、数年すれば街を歩くオシャレでカッコいい大人の女性のように、ブランド物のバッグやアクセサリーを自由に買えるようなお給料がもらえるものなのだと思っていたのです。

 

 

私が社会に出た当時は、バブルが弾けて間がない頃でしたからまだまだ都会の街は華やいでいました。

 

 

世間の経済がどんどん低迷していっている状況で、その煽りを受ける立場に置かれている事など、無知な私にはピンと来なかったのですね。

 

 

 

今思えばあまりにも幼い考えですが、2,3年もすればお給料としてもらうお金ももっと増え、自由に使えるお金も増えるものだと思い込みたかっただけなのかもしれません。

 

 

そして、何となく現実から目を反らしていたに過ぎなかっただけなのかもしれません。

 

 

けれども、少し先を歩いている人生の先輩達を見ていると、

 

危機感を持つことよりも贅沢な華やかさに憧れると同時に、それが当時の私の目にはきっと実現している未来の私の姿として映ってしまっていたのでした。

 

 

 

計画を持ってじっくり考えるという思考も持っていなければ、将来への見通しをどうしていくことがいいのかなどということを真剣に考えたりもしなかったのですね。

 

 

 

ただ、妙に生真面目なところがあり、遅刻せずに毎日出勤し、真面目に働いていれば悪いことは起きないだろうという浅はかな考えを持っていて、疑うこともなかったのです。

 

 

いえ、もしかすると『疑うということをしてみる』という感覚を持つことを、無意識に遠ざけていたのかもしれません。

 

 

当時の自分に都合のいい言い訳として取りつくろうとしていたのかもしれないですね。

 

 

 

その様な事も、当時から20数年の月日が経った今だからこそ、

 

そして、その年月を過ごしている間は、望む望まないに関係なく、様々な経験や境遇にめぐり逢う機会を頂いたからこそ、実感し考えたのかもしれません。

 

 

 

今思うのは、疑問を持つこと、感じることに、もっと敏感にならなければいけないのだと実感すると同時に、

 

その気付きにふたをしてしまったらいけないのだということです。

 

 

 

 

実際のところ、私は同世代の友人達よりも少し早めに結婚、出産し家庭に入ったため、収入を得るための仕事からは長く離れていたので、
そのまま仕事を続けていたらどうだったのかは分かりません。

 

 

 

けれども一つ言えることがあります。

 

どんな状況にいたとしても、思い通りの明日がやって来るとは限らないということです。

 

 

悪いことばかりが起こると言うのではなく、思ってもみなかったいいことが起きることだって勿論あり得ます。

 

 

ただ、いいことが起きた場合は、心から笑顔で喜べばいいだけの話ですが、
良くないことが起きたとき、人は慌てますし、焦りや不安で動けなくなってしまい更に悪い方向へと引き込まれてしまうことだって想像がつきます。

 

 

 

『一寸先は闇』

 

 

 

あなたは誰かのために、いい人でいることや、社会の一員としてこうあるべきの姿を優先させてしまっていませんか。

 

 

それは、本当に自分にとって、自分らしい“いい状態”なのかどうか。

 

 

もしかすると、自分を粗末にしているかもしれません。

 

 

もしも、今の生き方が自分を粗末にしているとしたら、本来大切な存在だと思っている親や子ども、旦那さんや奥さんというかけがえのない人にとっても、長い目で考えると喜べることではないと思いませんか。

 

 

 

平凡な明日が当たり前にやって来ることの方が、本当は奇跡なのだと思うのです。

 

 

周りの人に「いい子、いい人」として認められることを基準にしていたら、いつか自分の気持ちを見失っているかもしれません。

 

そして、そのことにすら気が付かなくなってしまっているかもしれません。

 

 

つまり、“自分という人間の本来の中身が空っぽになっていて、大切なことが何なのかさえ、考える思考が働かなくなってしまっている。”

 

 

そのことにすら、気が付いていない最悪な状況…。

 

 

できれば、その最悪な状況は避けたいところですね。

 

 

 

今からでも、遅くはないのですね。

 

 

気が付くことが出来れば、一寸先の闇を回避できる一歩目に踏み出せたということなのだと、私は思います。

 

 

 

 

追記

 

 

 

 

一度は行って、この目でちゃんと見てきたいと思っていた『広島の原爆ドーム』に先日、やっと行ってきました。

 

 

 

加藤あやめ,一寸先は闇,広島,平和公園

 

 

ブログに載せるかどうか、迷っていたのですが、本当に一寸先は闇でしかないということを、改めて感じさせられる旅でもあったので、少しだけ記してみます。

 

 

加藤あやめ,一寸先は闇,広島,原爆ドーム

 

 

人間の浅はかさから起こる悲しい戦争が今も絶えません。

 

 

 

魔の一瞬により多く人の人生を狂わせた“原爆”は、70数年の時間を過ぎた今でもその爪痕は残っていますし、この先も消えることは無いのだと思います。

 

 

加藤あやめ,一寸先は闇,広島,原爆ドーム

 

 

若いボランティアの青年が汗ビッショリになりながらも、大勢の観光客を前にして、ガイドに努めている姿は、胸にくるものがありました。

 

 

物事にちゃんと疑問を感じられる心や、流されて見落としているけれど大切な物事、つい楽な方へと逃げ出したくなる日常の一コマ…。

 

 

今、こうして感じたり考えたり出来る時間があるのだということは、当たり前ではなく、有りがたい事なのですね。

 

 

 

少しシンミリしてしまいましたね。気分を変えて…

 

 

せっかく広島まで出かけたので、欲張りに、あちらこちらへと足を運びました。

 

 

 

大阪から広島までは、そう簡単に行ける距離ではありませんから、思い立った時に、回れるだけ好きに回ってみようと、当日の午後からプラッと出かけたのです。

 

 

その話は、、、。 少し長くなってしまいましたので、また次回に取っておきます。

 

 

一寸先は分かりません。

 

また、記事を書くことができ、読んでくださる方と繋がることができるとしたら、それも当たり前では無く奇跡なのですね。

 

 

 

加藤あやめ

 


 

 

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