日曜日が消える?!そしたら自由が増える法則




 

日曜日が消える?!そしたら自由が増える法則

 

こんにちは

 

 

 

加藤あやめです。

 

加藤あやめ,日曜日,自由が増える,

 

 

私はこの数年、普段の生活では日曜日に出かけることがめっきり少なくなりました。

 

 

 

その理由の一つとしては、日曜日や祝日はどこに行っても人が溢れていて、その人の多さに酔ってしまいとても疲れてしまうからです。

 

 

 

こんな経験はありませんか。

 

 

例えば、新しくできた観光スポットや大型ショッピングセンターなどは、

 

車で行けば渋滞に巻き込まれ、駐車場に車を止めるまでにも一苦労ですね。

 

 

 

 

トイレに行きたいと思い、探してウロウロと歩き回ってやっとトイレに着いたら、またそこにも長い行列。

 

 

そして、使う人が多いから仕方が無いのかもしれませんが、あまりきれいではないことの方が多いのです。

 

 

 

休憩をしようとレストラン街を歩けば、どのお店の前にも人が並んでいて、

 

例えば整理券を渡されたとして、呼ばれて席に着くまでに30分、1時間待ちなどはよくあることですね。

 

 

 

何をするにもすんなりとことが進まない…。

 

 

 

人が多い日曜日や祝日に出かけるのは、
楽しむために出かけているのか、
それとも無駄に長い待ち時間にイライラしたり、疲れるために出かけているのかわからなくなってしまいます。

 

 

 

 

ですから、私は自分一人でのお出かけは平日にすることの方が多いのですね。

 

 

 

もともと、人気スポットだとか新しいものに飛びつく性格ではないので、自分から行こうと思う時はよほどの興味を引き付けられた時くらいにしか行ってみようと動くことがあまりないのです。

 

 

 

そして、もしも興味を感じて行くとしたなら、できるだけ平日の人が余り多くない時を選んで行きたいと思うのですね。

 

 

 

ところが、自分以外の誰かと一緒にお出かけするとなるとそうも言ってられないのです。

 

 

 

仕事が休みの日曜日にしか出かけられないと言われれば、合わせるしかありません。

 

 

 

そんな中、先日、日曜日に知人から誘われて出かけたのですね。

 

 

 

正直なところ、ここに行こうと誘ってくれたところにあまり興味は無かったのです。

 

 

 

けれども、知らないところに出かけるワクワクも全く無いわけではありませんし、せっかく誘ってくれているのだから、楽しめればいいなという期待も多少はあったのですね。

 

 

 

ですから、私の外出必須アイテムの“マスクにアルコール消毒”をおともに出かけたのです。

 

 

 

けれども、案の定、人の多さに酔ってしまい気分が悪くなってしまったのと同時に、

 

 

時間を無駄に垂れ流してしまったような妙な罪悪感にも包まれてしまい、
疲れだけが残った一日となったのでした。

 

 

 

自分の人生の主役は自分なのです

 

人生の主役は自分

 

 

生活の基準を“仕事”がほとんどを占めてしまうと、残りの隙間の部分にしか自分のための時間がありません。

 

 

自分の人生が隙間の部分だけなんて、なんだか悲しくなりませんか。

 

 

例えば、壁にきれいなタイルを貼り付けて一つのアートを作るとしますね。

 

 

わざと少し砕いた色んなタイルを組み合わせて、コンクリートがむき出しの壁に人々の目に美しく焼き付けられるような大きなアートを描いているモノを見かけたことがありませんか。

 

 

そんなタイルのイメージを思い浮かべてみてください。

 

 

 

そして、その完成した一つの“絵”が自分だと想像してみてください。

 

 

タイルの欠片を上手く組み合わせて自分の思い描く一つの作品を作っていくわけです。

 

 

メインは色や形が様々な“タイル”で、それらをつなぎ合わせている“ノリ”の部分(目地材)は脇役でタイルを支えてくれていますね。

 

 

 

鮮やかな色を放ち、自分のカラーを輝かせているのがそのタイル=自分自身。

 

 

 

そして、そのタイルをつなぎ合わせ、陰から支えているノリが、収入を得るための仕事だったり、知識を身につけ学ぶための学校だったりするのです。

 

 

 

きれいなタイルという自分を支え輝かせるために、ノリはひっそりと隙間を埋め支えの役割をしているのです。

 

 

 

つまり、ノリはあくまでも脇役なのですね。

 

 

 

 

そう考えると、先ほどの話から矛盾すると思いませんか。

 

 

 

隙間の部分が、本当の自分を輝かせるために陰で支えている脇役の部分である仕事や勉強であるはずなのです。

 

 

 

主役はあくまでもタイルで描き出された“絵”になっている部分で、そここそが自分なのですね。

 

 

 

つまり、隙間の部分にしか自分が持てないという生活では、ノリばかりということなのです。

 

 

描かれるアートがないわけです。

 

 

少し過激な言い方かもしれませんが、自分がないのと一緒なのかもしれません。

 

 

 

これでは、何のために今生きているのかと、わからなくなってしまいます。 悲しいですね。

 

 

 

隙間に自分を埋めるのではなく、自分というタイルを輝かせ、一つの絵を描いていくその隙間に仕事があるのだという感覚を持つことができたら、

 

 

きっと本当の自分らしい自由な気持ちで生きられるのかもしれません。

 

 

 

お出かけは、疲れるためではなく、楽しむために行くという感覚で過ごせる方が、自然だと思いませんか。

 

 

 

私は少なくとも、その方が心が穏やかに丸く居られるような気がするのです。

 

 

 

どこに行っても人が多い日曜日は、あえて静かに家でのんびりする。

 

 

 

または、人が遊んでいる間にパソコンでコツコツ仕事して、平日の気分がいいときに思いつきでのんびり出かける。

 

 

 

そういう生き方も、自分の心に向き合い大切にした生き方の選択としての一つかもしれないと感じませんか。

 

 

 

“日曜日”を仕事が休みの特別な日というスタイルを離れたら、自由が増えるのです。

 

 

 

日曜日や祝日が、逆に不自由な休日へと自分を押し込めている…

 

 

 

自分で選んだタイルを一つ一つ、つなぎ合わせて世界に一つだけの自分らしい“絵”を描いていけてこそ、自分の人生を生きているような気がしませんか。

 

 

 

大切な人を想うなら曜日に縛られない方がいい

 

 

 

私は、離れて暮らしている子どもたちと、時々会って遊びます。

 

 

子ども達からの連絡は、気まぐれで何か月も音沙汰なく、メールの返事も全く来ないとう時期もあれば、

 

突然、「あした、一緒に遊ぼう。」と、送ってくることもあるのです。

 

 

 

 

平日の昼間に電話をかけてきて、その数時間後には待ち合わせて一緒に過ごす。

 

 

 

そんな時間が、今の私にはとても幸せなのです。

 

 

 

子どもとは言え、彼らには彼らの生き方や事情があるのですね。

 

 

 

ですから、どのタイミングでの連絡でも、私はできるだけ応えたいと思うのです。

 

 

 

そして、もしかすると子どもよりも私の方が一緒に過ごす時間を楽しみにしていて、ワクワクしてるかもしれません。

 

 

 

ですから、子どもからの連絡をもらうと、つい嬉しくて、「お泊まりもできるのかな?」と欲張りになって誘ってしまいます。

 

 

 

今でこそ、毎日のようにメールでやり取りをしたり、会って一緒に過ごすことが増えましたが、

 

実は、頻繁に会ったり連絡を取りあうようになったのは、ここ1、2年ほどのことなのですね。

 

 

 

 

毎日、仕事に追われている生活をしていた時には、それこそ会社の休みの日でなければ会うことはできなかったのです。

 

 

 

今思えば、きっと子ども達の心の中にも、「どうせ仕事で会う約束なんか無理なんでしょ。」という気持ちを植え付けてしまっていたのかもしれません。

 

 

 

ですから、以前は半年や一年、連絡が取れないという時期もあったのですね。

 

 

 

ところが皮肉にも、私が病気をしたことで毎日外に働きに出られない生活になってしまったことと、

 

私自身が生き方や働き方を考えるようになったことで、いつでも彼らのタイミングに合わせてあげたいという想いを可能にすることができるようになりました。

 

 

 

自宅のパソコンで、自分のタイミングでできる仕事。

 

 

 

ネットを使ったビジネスには、様々なものがありますが、その中でもブログアフィリエイトがそれを可能にしてくれる唯一のビジネスのように思っています。

 

 

 

子どもたちの、今の姿や今の声、気持ちは、今しか聴くことができません。

 

 

 

そして、無言の声も、また本当の声だったりします。

 

 

 

その無言の声にも耳を傾け気付いてあげることができる人間は、そう多くはいないのだと思います。

 

 

 

私は一緒に暮らしてはいませんが、いつでもその子ども達の声に“聴いているよ。見守っているよ。”という姿勢を、

 

子ども達に感じてもらうことができる人で居られているのだろうか。。。

 

 

自信はありませんが、そんな存在になれるように、柔軟な人間でいることが自分の課題だとも思うのです。そして、そうでありたいと思って過ごしています。

 

 

 

もちろん、まだまだ私自身が未熟者ですから、あくまでも理想として心がけたいという願望なのですけども…。

 

 

 

彼らにとっても、その人生の主役は彼らなのですね。

 

 

 

大人の仕事という都合だけで、彼らの声を聴くタイミングを逃してしまうと、悔やまれる日が来るかもしれません。

 

 

 

そして、これは親子という関係だけではなく、大切にしたいと想っている人とのタイミングも同じことなのかもしれませんね。

 

 

 

カレンダーの暦、曜日を気にせず、大切な人との時間を優先させる生き方をもっと追求していきたい。

 

 

 

日曜日の概念が生活のベースから消えたら、休日はもっと自由で豊かになる。

 

 

 

そう思いませんか。

 

 

 

私と同じ様な想いを抱いている人と、曜日や時間に捕らわれずに会って飲み交わすことができたら素敵だなと密かに思っています。

 

加藤あやめ,大切な人,自由

 

加藤あやめ

 

 


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