『当たり前』ではない今の穏やかな一瞬にありがとう




 

『当たり前』ではない今の穏やかな一瞬にありがとう

 

こんにちは

 

 

加藤あやめです。

 

 

 

 

穏やかな秋の風が、日常の騒音をかき消すように私の心にも穏やかに優しく触れてくる気がします。

 

 

 

昨日の夜中、カーテン越しになぜかいつもよりも外が明るく感じてベランダに出ました。

 

 

 

時はすでに日付が変わっていくぶんか経っている真夜中です。

 

 

 

月がとてもきれいでした。

 

 

 

青白いベールに包まれたような優しい光をそっと降り注いでいます。

 

 

 

そして、周りに薄く広がっている夜空の雲を巻き込んで月のある方向だけが、幻想的な空間を漂わせていました。

 

 

 

 

 

一体、何人の人が、今、この空を見上げているのだろう…。

 

 

 

夜中とは言え、街の灯りは地平線を埋めるように果てしなく広がってはいるのですが、
その境界線から上は、ただ一つ  真っ暗な空に月だけが私をを照らしているような気がしました。

 

 

 

私は、空を見るのが好きです。

 

 

 

 

この先、どうなっていくんだろうと不安にかられていたり、気分が落ち込んでいたりして、
孤独で泣きそうになる色んな感情がどうしようもなく押し寄せてくる時があります。

 

 

そういう時、ありませんか?

 

 

 

 

私はそんな時、一人じっと空を見上げていると、自分なんてこの大きな空から見たら、砂粒くらい、いえ、それ以上にちっぽけで、ほんの一瞬の生き物に過ぎない一つなんだと感じさせられるのです。

 

 

 

 

きっと、私の中で不安になったり悩み考えたりしていることも、時間も、広い空から見ればほんの小さな、どうでもいい出来に過ぎないのだろうなと思うのです。

 

 

 

 

しばらく見上げているとだんだん落ち着いてきて “くよくよしたって何にもならないのに、バカだな…” と、心にふわりと風が通る気がしてきます。

 

 

 

そして、『今のこの穏やかな一瞬にありがとう』 と、まあるい気持ちになれるのです。

 

 

 

だから、私は毎日空を見上げます。

 

きっと無意識に見上げているのだと思います。

 

 

 

『当たり前』ではない今を生きている

 

 

 

とは言え、そんなに容易くまあるくなれず、どんどん沈んでしまうときもあるのです。

 

 

 

命あるものは、毎日たくさん生まれ、同じ様に毎日たくさん消えていきます。

 

 

 

それは、私たち人間だけではなく、草花でも、虫でも、動物でも同じですね。

 

 

 

長いか短いか、早いか遅いかの違いくらいなだけで、ずっと昔から命は生まれては消えての繰り返しがあり、たまたま今のタイミングで私たちはここにいます。

 

 

 

何十億、何百億、何千億とも想像のつかない様々な生命がこの地上に存在しています。

 

 

 

みんな精一杯生きているのだと思います。

 

 

 

   (だから私一人くらい消えたところで、この地球上には何の影響もないよね。)

 

   (このまま、空に吸い込まれて、風に吹かれて消えてしまえばいいのに…。)

 

 

 

などと、どんどん落ちて自分の心の弱さに飲み込まれていってしまう時もあるのです。

 

 

 

でも、そんなことを考えたり悩んだり、沈んだりする気持ちを感じることができるのも、『今、生きている』からなのですね。

 

 

 

皮肉な事に、生きているからこそ感じることができているのです。

 

 

 

 

そんな今の瞬間も、これまで色んな事を経験し、考えたり悩んだりした時間が折り重なって生み出された “今” であって、それも私の貴重な“心の財産”なのだと思うのです。

 

 

 

 

そして、それは 『当たり前』 に時間枠として訪れた “今” ではないのだと思うのです。

 

 

 

花のように。そして自分らしく

 

 

 

 

少し想像してみてください。

 

道ばたの隅っこに咲いている小さな花も、たまたま風に吹かれてそこに種が落ち、鳥や虫に食べられることなくそこに根を張り、芽をだして、ひっそりと黙って花を開かせていますね。

 

 

 

 

誰かの目にとまることもなく、時には雑草だからと抜き捨てられることだってあります。

 

 

 

 

けれども、精一杯花を咲かせてまた種を風にゆだねて季節が終わると静かに消えていきます。

 

 

 

 

きっとそこには感情はないのだろうけれど、そんな小さな花に汚れのない生きる姿が感じられませんか。

 

 

 

 

私は時々、ふっと目に止まるそんな花に生きる力を分けてもらっていると感じるのです。

 

 

 

 

きらびやかで豪華な花はとても綺麗です。

 

 

 

 

でも、なぜだか私は道ばたや公園の片隅で、ひっそりと風に揺られながら空を仰ぐように咲かせている小さな花に、心が感じ入ってしまうのです。

 

 

 

道ばたの小さな花は、自らその場所を選んで咲いているのではありませんね。

 

 

 

たまたまの風の向きや勢いなどのタイミングで、そこに根を下ろしたのですね。

 

 

 

そんな偶然で、一輪の感動を与えてくれるのですから、私から見るととてもすごい力です。

 

 

 

大雨で泥にまみれるかもしれませんし、誰かに踏みつけられることもあります。

 

 

 

虫がやってきて葉っぱをかじられてしまったとしても、痛いと悲鳴を上げることも、助けを求めることも、逃げることもできませんね。

 

 

 

ひたすら、その場所で耐えて花を咲かせます。 強いです。

 

 

 

 

でも、考えてみてください。

 

これが自分なら、耐えられるとはどうしても思えませんね。

 

 

 

 

雨に打たれ、泥だらけになったら、少しでも早く洗い流そうとしますし、踏みつけられたり痛い思いをしたならば、痛いと声をあげることができます。

 

 

 

 

助けてと訴えることも、我慢できないことがあれば逃げることも立ち向かうこともできるのです。

 

 

 

 

それは、今生きている“人間”だからなのですね。

 

 

 

 

理不尽だと感じる出来事は、この花のように人間社会にもたくさんあります。

 

 

 

 

でも、私たちは自分の感情や意思があり、それを表現することも、それを回避する行動をとることだってできるのですね。

 

 

 

そして、自分の居場所は本来自分で選ぶことができるのです。

 

 

 

 

小さな花も、こんなに懸命に生きていて、人の心に感動を与えてくれる力があるのです。

 

 

 

 

私たちは、自分の心の向くまま自分の足でどこにでも動いていける力があるのだと、改めて感じませんか。

 

 

 

 

時に、私たち人は感情があるがために、悩み、考え、何かに戸惑いやためらいを感じ、行動する足の動きを鈍らせてしまいます。

 

 

 

 

けれども、大きな空から見ればほんの砂粒くらいの悩みや迷いであって、それこそ私たちの存在すらも一瞬の出来事なのかもしれません。

 

 

 

 

それならば少しでも早く、自分らしく気の向くまま、自由に今を生きた方が、
きっと幸せを感じる時間がちょっぴりでも増やせるかもしれない。 

 

そんな気がしませんか…

 

 

 

 PS

 

 

風邪をこじらせたまま、真夜中の月に誘われて夜風にあたったせいなのか、今日も咳き込んでいます。

 

 

 

リンパ浮腫で、内ももの感触が気持ち悪いのですが、昨日の月の灯りに今日を過ごす力を分けてもらったような気がしています。

 

 

 

時間に追われるように朝早くに起きて、追い立てられるように働き、くたくたになった身体を休ませるためだけに寝に帰る…。

 

 

 

そんな生活から、抜け出したくて資格を取りに大学に通っていた頃に、私はすでに癌に蝕まれていたのですね。

 

 

 

いつ、どのタイミングで安泰で大道とされている“組織で働くスタイル”が、どんなきっかけで崩れてしまうかは誰にも分かりません。

 

 

 

けれども、今の時代はパソコン1つでどこにも誰にも雇われることなく収入を得ることができるのですね。

 

 

 

私は、癌になったおかげで未知の新しい世界に踏み出すことができました。

 

 

 

今は焦らず、自分の身体と心と折り合いをつけながらありのままでいいのだと思うようになり、ゆっくり生きる生活を模索しているところです。
 ※記事 【癌治療の後遺症】折り合いをつけながらありのままで…

 

 

 

時に、身体の辛さから心も辛くなることもあります。 
 ※記事 【気は病から】の方がしっくりくるのは私だけ?!

 

 

 

 

それに、そもそも私たちは働くために生きているわけではありません。

 

 

 

一度しかない自分の人生。

 

 

 

自分らしい生き方で、残りの人生穏やかに自由に歩んでいきたいですね…。

 

 

 

 

加藤あやめ

 

 

 

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