【気は病から】の方がしっくりくるのは私だけ?!




 

【気は病から】の方がしっくりくるのは私だけ?!

 

こんにちは

 

 

加藤あやめです。

 

 

 

ほんの一週間ほどの間に、朝晩の温度差が随分と大きくなり、陽が沈むと寒いと感じるようになりました。

 

 

とは言うものの、日中は陽が差して部屋の中は温室のように暑くなるので、まだもう少し扇風機に頼る日が続きそうです。

 

 

そんな中、私は風邪をひきだしてからもう二週間ほど経つのですが、一向に治る気配がなくて今日も咳き込んでいます。

 

 

午前中は横になって、身体を休ませようと何度もお布団に入ってみたのですが、寝付くこともできません。

 

 

 

だからといって、お布団から出てみても身体は重く頭もぼーっとしているので、起きていても何も手がつけられないのですね。

 

 

それこそ、食欲がわかないので台所に立つ気にもなりませんし、何をしても空回りになってしまいます。

 

 

 

私は、こういう時は一旦すべてを放棄して、たとえ一時間だけでも熟睡できるのが一番だと思うのです。

 

 

 

理由はこうです。

 

身体が思うようにシャンとしていないときは、“これをしよう”と、自分の中で思っていることが邪魔くさくなったり、

 

逆に、“こんな事でどうするんだ”と、できていない自分がダメな人に思えて自分を責めたりしてしまいます。

 

 

 

そうすると、どんよりとした灰色の雨雲が低い位置から空を覆うかのように、よくない思考が頭を支配してくるのです。

 

 

そして、どんどん気力を奪っていき、不安や恐怖の妄想が広がりだして、マイナス思考のかたまりに沈んでしまいます。

 

 

すると、更に眠りにつくことができなくて悪循環におちいってしまうのですね。

 

 

 

ですから、私は余計なことを考えてしまう前にスッと寝てしまった方が身体にも心にもいいのだと思うのです。

 

 

こういう経験は、ありませんか?

 

 

 

 

だからなのか、私はこの数年、『気は病から』と実感することが多いのです。

 

 

 

『病は気から』という言葉があります。

 

ただ、その逆も、今の時代の私たちには十分ありふれた身近なこととしてあるような気がします。

 

 

 

 

 

いつもプラス思考で物事を捉え続けている人ならば、この様なことはないのかもしれませんが、それでも身体が辛いときには気持ちも上がってこられないということは少なくないのではないでしょうか。

 

 

 

そんなこんなをモヤモヤと考えている内に、私はお昼前に少しだけ眠ることができたようです。

 

一瞬、無の時間があったので眠れた気がしたのですが、そのためなのか、午後からは身体のしんどさが少し落ち着いたので、
空気を入れかえようと布団を干したり、掃除をして午前中のどんよりとした負の空間から、なんとか抜け出すことができました。

 

 

 

ただ、私は今、毎日の通勤をする生活をしていないので、体調に合わせて休息を取りながら自分のペースで暮らしていますが、
毎日会社に勤めに出ていたとしたら、こういう調節は簡単にはいかないのですね。

 

 

 

 

『こんな状態でも、今日も会社に行かなければいけない。』

 

『あと一日出勤したら休みだから我慢しよう…。』となるのだと思います。

 

 

 

けれども少し考えてみてください。

 

正直なところ、咳をして鼻をズルズルとすすりながらのこんな状態で職場に行ったところで、
集中して仕事に取り組み、力を発揮できるかどうかも分からないですし、体調が悪化することはあっても良くなることはないですね。

 

 

 

さらには、通勤電車の中や職場内で、他の人に風邪をうつしてしまうかもしれません。

 

 

 

けれども会社という組織に雇われて働いていたらば、そうたやすく会社を休めませんし、月に何日などと決められた休日の中で調整をしなければお給料にも響いてきますから、

 

“休む”という選択は、よほどのことが無い限りしないのが現状多いのではないでしょうか。

 

 

 

とりあえず会社に行きさえすれば、お給料はもらえる。

 

 

 

中には、仕事の中身や責任などは表向き適当につくろって会社の机に座ってさえいれば、体裁は保てる。

 

 

 

そんなふうに、半ば自己中心的な考えが先に立ち、一人の人として責任感に乏しい行動を取る人も少なくないかもしれませんね。

 

 

 

でもそれは、長年の会社勤めを生活の大半として時間を費やしてきた習慣から自分を守るためについた鎧なのですね。

 

 

ですから一括りに非難することはできません。

 

 

 

それこそ、病気がそういう気を生み出してしまっているのかもしれませんから。

 

 

 

どんな病気でもケガであっても、誰も望んで病気にかかるわけでもなければ、ケガをするのでもありません。

 

 

でも、考えてみてください。
もしそうなったときには、本来ならば、病気やケガを治して身体を元気に戻そうと考えるのがごく自然のことだと思いませんか。

 

 

 

けれども、時間に縛りのある仕事に毎日の生活リズムを支配されていると、真っ先に頭に浮かぶのはこうです。

 

“仕事に行けるかな” と、病気やケガをしたことが、まるで“悪”か“犯罪”かのごとく、仕事のことを考える。

 

 

 

仮に会社を休む自分を想像したら、上司や同僚に冷ややかな目で見られ、居心地が悪くなる映像が脳裏に映る。

 

 

あるいは部下に示しがつかない…。

 

 

 

就職活動を繰り返し、やっと決まった会社。または、周りも羨む理想としていた会社に入り頑張ってきた仕事なんだっと、
真面目に働いてきた時間が長ければ長い分、そんな風に自分を追い込む習慣が染みついているのだと思います。

 

 

 

社会人として、組織の習慣に馴染み染まることが当たり前とし、それができない人間を見下すような価値観がまん延している現実も残念ながらありますね。

 

 

 

まるでそういう考えをすることができる者だけが、大人として社会で認められるとでも言うような威圧を感じてしまいます。

 

 

 

でも、本当にそうなのでしょうか。

 

 

 

まるで、ロボットだと思いませんか。

 

 

 

ロボットはケガも病気もしませんから、プログラム通りの作業を計算された通りに完璧に稼働させます。

 

 

 

けれども私たちは人間です。

 

 

 

病気もケガもします。 そして、誰一人として同じものは存在しないとても繊細な感情を持っています

 

 

ロボットほどプログラム通りの作業はできないかもしれません。

 

 

 

けれども、それ以上に価値あるものを創造したり、人間にしか溢れ出てこない想いや心で社会と関わることができる無限の価値があるのではないでしょうか。

 

 

 

感情があるからこそ、泣いたり笑ったり、時には腹が立ったりすることだってできるわけです。

 

 

 

もちろん、気持ちが高揚しているときなら、多少の疲れや風邪くらいはどうってこと無いと思えることもありますね。

 

 

 

ただ、身体が悲鳴を上げている時に、自分で気づいてあげ、休ませてあげることをしなければ、

 

いつかは心も蝕まれてしまうときがきてしまうのではないでしょうか。

 

 

 

まさに『気は病から』です…。

 

 

 

そうなる前に、今の自分が本当はどうありたいと思っているのだろうか、

 

心の声と向き合う時間を少しでも早く持つということができたら、心からの笑顔がこぼれる日が早く訪れる気がしませんか。

 

 

 

PS

 

 

以前、私が学生だった時に看護師の先生が授業でこんなことを話してくださったのを思い出しました。

 

 

「“病は気から”と、よく聞きますが、それは違うのですね。風邪などの感染症は、細菌やウイルスによってかかるのです。

 

 

ですから、“気がたるんでるからダメなんだ”のように表現することがありますが、医学的にいうと“気”はまったく関係ないのですね…。

 

 

要するに、食生活がだらしなくて栄養が偏っている人や、例えばあまり手洗いをしなくて爪の中が垢で黒ずんでいたりするなど、不衛生な生活を送っていると、

 

身体の抵抗力が弱い上に菌が周りにたくさんあるのですね。

 

 

そういう意味合いからは、つなげられますね。昔の人が作った言葉は面白いですね…。」

 

 

 

のような雑談です。

 

私は、この先生がこんな風に柔らかい解釈で話をしてくださる印象を持っていなかったので、
何となく貴重な言葉のような気がして、思わずノートの端っこに走り書きをしていたような記憶から、今、思いだし書いてみました。

 

 

  (人との縁て、ノートの端っこのメモが案外本質だったりするのかもしれないな、と、ふっと思いました。)

 

 

PPS

 

 

 

目が覚めたときに、今日が始まります。

 

 

 

一日を過ごす時間は、どんな一日の過ごし方であってもその一日に自分のその日のドラマがあるのですね。

 

 

 

それならば、できるだけ気分良く今日を過ごしたいです。

 

 

 

 

そのためにも、身体が調子良く過ごせるように、時間の不自由さから解放される生き方を選んでもいいのだと思いませんか。

 

 

明日、素直な笑顔がこぼれたら小さな幸せに繋がる気がします…

 

 

 

 

加藤あやめ

 

 

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