【自由に生きたい】海まで歩いてみた。




 

【自由に生きたい】海まで歩いてみたら見えた景色

 

こんにちは

 

 

加藤あやめです。

 

 

 

私は、今大阪で暮らしています。

 

 

 

けれども、大阪に長年いるのにも関わらずあまり出かける機会がなかったので、名所と言われる様なところにもほとんど行ったことがないという生活をしていました。

 

 

 

世間でいう、いわゆる “ミナミ” や “キタ”  と呼ばれる繁華街や、観光名所と言えば思いつくのが “大阪城” などでしょうか。

 

 

 

それらには、買い物やお花見などで行くことはたまにありますが、年に1、2度程いけばいい方でもっぱら出向くことがないのですね。

 

 

 

とはいえ、十代や二十代前半のまだ若かった頃には都心部のギラギラとした街に妙な憧れを抱いていましたし、そもそも通学路そのものが大阪のど真ん中を通らなければ学校に行けなかったので、街へは遊びによく出かけていました。

 

 

ただ、年々その様な都会の人混みにわざわざ出かけることも嫌になり、二十代半ば頃からは都会よりも素朴な自然を感じる場所や時間の方が心地よくて、今では好んで都心に出かけることはほとんどありません。

 

 

 

目を閉じて山の匂いを感じたり川のせせらぎに耳を傾ける、瞼を開けると目に映る動植物のありのままの姿から、季節の移り変わりなどを肌で感じ取る。

 

 

すると、私はとても満たされた気持ちになります。

 

 

 

憧れの対象が二十歳前後の頃とは真逆になっていますね。

 

 

 

そういう自然の中に行くと、心が洗われるような神聖な空気感が漂っています。

 

 

そして、改めて自然の雄大さと自分の小ささを突きつけられます。

 

 

 

それでも、今、私は生きているんだな… と、大きな力に生かされている今の瞬間を感じずにはいられないのですね。

 

 

 

こんな風に自然を感じられる場所が好きなのですが、 “海や山” ともなればそれはそれで近くにはありませんから、簡単には行けないのです。

 

 

 

そのため、都会の中ででもちょっとほっとするな…と思えるような所に行けると、それだけで “小さな幸せ” と満たされるのですね。

 

 

 

実はこの数年、私の移動手段の基本は “歩き” です。

 

 

車の免許を取って以来、20年ほど移動手段はどこに行くのにも “車が足” で車中心の生活でしたが、思い切って自分の足をメインの移動手段に変えたのですね。

 

 

なぜそうしたのかというと、通勤に車を使うことがなくなったからです。

 

 

 

けれども、毎日乗っていたので最初は車がない生活は想像できず不安もありました。

 

 

 

例えば、「大きな買い物をするとき困るだろうな。」や、「ドライブでプラッと出かけることができなくなってしまうな…。」なども考えました。

 

 

 

でも、もう毎日車に乗る必要はありませんでしたし、たまにしか乗らない車を寝かせていても経費がかかるだけですから車を手放す答えにいきついたわけです。

 

 

 

結論から言うと、思い切って車を捨てて身軽になったことで、何も困ることはありませんでした。

 

 

 

というのも、用事で出かけるにしても、地下鉄も、JR線も、私鉄も、バスも、私の家から割と近くにそれぞれの駅があるので、すっと歩いていけるのですね。

 

 

 

そして意外に、重たくて大きな買い物は無いのです。

 

 

 

今の生活から更に買いそろえるべき本当に必要なものは、そんなには無いものですね。

 

 

 

もしこれが、今から一人暮らしを始めるというような人であれば、買いそろえなければいけない物が出てくるのでしょうから話は変わってきますが、どうしても買わなければ困るという大きな物は、そうそうないのだと実感しました。

 

 

 

 

一瞬、“これ素敵だな” などお店で気になる物があると、車があれば持ち帰りを気にしなくていいので購入することに迷うハードルは低いと思いますが、車がなければ、まずその様な商品にあまり目が向かなくなりました。

 

 

 

そして、“これ、本当に私に必要かな…” と、考えるようになったので、無駄な買い物が減りました。

 

 

 

 

食料品など日用品の買い物なども、家から歩いて行きますし、美容院やかかりつけのお医者さんなども、徒歩圏内に収めました。

 

 

 

 

つまり、わざわざ人気のお店や話題のスポットができたという流行の情報に振り回されなくなったので、自分スタイルが持てるようにもなった気がしています。

 

 

 

 

行動範囲やパターンが変わったのですが、気が付けば服装や好みも変わり、生活リズムも連動されたように変わるものなのだなと知りました。

 

 

 

 

歩くようになってから、車では通らない道をわざと曲がってみたりして散策するようになったのですが、近くに住んでいながら知らなかったお店を発見したり、小さな公園や神社に巡り会えたりします。

 

 

 

 

車でしか行けないような大通りに面した大型ショッピングセンターや、飲食店には自ずと足が遠のき、少し寂しい気もしますが小さな新しい発見の方がワクワクします。

 

 

 

 

また、電車は本当にすごいですね。
改めて実感します。渋滞がありません!

 

 

遠出はすべて電車になったのですが、乗り換えのアプリで検索すると、「何番線に何分に着き、何分待ちで、○○で乗り換える…」と、細かい案内をしてくれて、時間もほぼ正確です。

 

 

 

これが、
“毎日の通勤のために時間に追われるように満員電車に詰め込まれている” という使い方だと気も滅入りますが、

 

 

“ちょっとお出かけ” として遠出の散策に使うとすると、のんびり電車の旅気分を味わえて目に入る景色も明るく映ります。 不思議ですね。

 

 

 

私は、入院中の一時帰宅時に、主治医に内緒で京都にプラッと行きました。(人混みや満員電車は、風邪やインフルエンザの感染をしやすいので避けるようにと言われていたからですね…)

 

 

 

 

“帽子にマスクにアルコール消毒のボトル” が、当時私の生活では必須アイテムだったので、どこに行くにも持ち歩きます。(ハゲだから帽子でオシャレを楽しむをご覧ください。)

 

 

その時もお守のように当然のお供として携帯し、治療中の気分転換にゴトゴトと電車に揺られて本当に楽しかったです。

 

 

 

バスの1日乗車券を使って好きなところで乗り降りして街を歩いたのですが、「哲学の道」だったでしょうか…。その道を少しそれたところに、小さなお店があり、手作りの一輪挿しを買ったのを覚えています。

 

 

 

そんな楽しい時間は、せっかく行ったのだからとつい欲張りになり、自分が思っている以上に無理をしていたのでしょうね。

 

 

 

帰りには、やはりくたくたになっていて、病院に戻ってから熱を出してしまったのを思い出しました。

 

今となっては、それも含めて素敵な思い出です。

 

 

 

 

車はとても便利ですし、当たり前の様に使っていると車のない生活にシフトすることを考えてみても想像ができませんね。

 

 

 

けれども私は、車を手放したことで、乗ったことのなかった電車やバスを楽しむことができましたし、歩く習慣がついたことから、空を見上げたり風を感じたりする日常を身近なものにすることができたのかもしれないと感じます。

 

 

 

とはいえ、普段は知らない所へとはなかなか出歩きませんが、先日、大阪堺市の下町を子ども達と散策に出かけました。

 

 

 

プロフィールにも記していますが、私は子ども達とは別々の生活を送っていますが、時々泊まりに来て一緒に過ごすのですのですね。

 

 

 

この日も寝る前に、明日はどこに行こうか、何して過ごそうか、と話していたのですね。

 

 

 

 

そこで冗談半分で、「明日、海まで歩こうかぁ。」と誘ったのです。

 

 

 

 

そしたら、子ども達も意外と乗り気になってくれ、子ども達とネットでどこに行くかを検索しあい、堺市の旧灯台を目指すことにしました。

 

 

 

たまにしか会わない子ども達ですが、出かけることが目的というよりも、ワイワイと “これ面白そうだね。” “ここにも行ってみたいね。” などの、些細な会話に花を開かせ家の中に会話の声が響いていることに、何ともいえない幸せを感じさせてもらう時間をもらった気がします。

 

 

 

 

堺の下町を歩いてみた

 

堺市は、大阪市から少し南西の方向にあります。

 

 

私たちは、中心街で役所がある堺東という駅までは電車でむかいました。

 

 

 

近くにバスの窓口があったので、そこでバスの一日乗車券を購入してみました。

 

 

 

千利休が一時住んでいたそうです。

 

 

 

〈さかい利唱の杜〉千利休宅跡地のすぐ近くに最近できたそうですが、与謝野晶子と千利休にちなんで“利唱”なのですね。

 

 

 

利唱の杜のすぐ隣に “和風スタバ?” と書き込みを見ていたので立ち寄りました。

 

 

 

子ども達の本命はこっちのようです。

 

 

 

〈妙国寺〉堺事件というものがあったことを、初めて知りました。
土佐藩士の十一名の遺髪が、、、さほど遠くない過去なのだとリアルに衝撃を与えてきます。

 

 

 

〈妙国寺の庭園にて〉樹齢千百年のソテツが目の前にあり歴史を感じさせます。

 

 

 

思わず帰りにソテツの実を買ってしまいました。 千百年前から受け継いでいる今の “種” に魅了されて…

 

 

 

〈ちく満〉昭和の時代に迷い込んだかと思わせる粋なせいろ蒸しのおそば屋さん。 メニュー表がありませんでした。

 

 

 

もう黙って、しばらくこの空間にのまれていたいです。 こんなの初めて見ました。 そっと出てきた蕎麦つゆ。 素敵です。

 

 

 

 

バスも使いながら色々と歩き回って、、、

 

 

ようやく堺の旧燈台までたどり着きました。 昔はここが陸地の端だったのですね。 
今では 沖は遠のきました。

 

 

 

 

 

自分の足で歩いて見えた景色は、疲れの重さと同じくらいに私たちに今という時間の重みを感じさせてくれる気がします。

 

 

そして、月日が経ち振り返るときがあるでしょう。
あの時、 “よく歩いたね” と懐かしい思い出へと変わっていくのだと思います…

 

 

追記

 

 

 

一歩目を踏み出さなければ永遠に二歩目はありません。

 

 

 

けれども、一歩目を踏み出せば、二歩目、三歩目・・・と繋がっていきます。

 

 

 

考えてみてください。

 

例えば「今日は一万歩あるこう!」と考えたとしても、その数字を思い浮かべただけでハードルが高く感じ、初めからやる気が失せてしまいますね。
どの位歩けば一万歩になるのか想像ができないので、躊躇してしまうからなのだと思います。

 

 

 

でも、もしそれが数字ではなく、「隣町にできて、前から気になっていた素敵なカフェに行ってみよう!」とした場合には、身支度するときからワクワクした気分で向かうことができる気がします。

 

 

そして、案外簡単に一万歩あるいていたなんてことがあるのですね。

 

 

構え方の違いで、ハードルの高そうなことも気分よくできたら次が楽しみになってきます。

 

 

 

 

人は何かを始めようと考えたときや、自分なりの目標がありそこへ向かいたいと思った時に、それが未知の領域だと踏み出すことに勇気がいります。

 

 

 

思い描いてる夢や目指しているものが、一万歩先の景色なのですね。

 

 

 

でも、それが例え百歩先でも、百万歩先でも、最初の一歩がスタートなのです。
そして、今の一歩が次の一歩を導きます。

 

 

 

今の一歩の景色は時に殺風景に感じたり、足腰が痛くなり休みたくなることもあるかもしれませんね。

 

 

 

あるいは、思いもよらない素敵な景色にめぐり逢い疲れが吹っ飛ぶこともあるかもしれません。

 

 

 

そんな今の一歩を重ねていけば、やがて一万歩の景色を臨めるのだと思います。

 

 

 

 

加藤あやめ

 

 

 

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