加藤あやめの日常から




 

水槽の中のサメは大きくならない?

 

加藤あやめです。

 

 

 

 

本来、サメは大きな身体で大海を自由に泳ぎ回って生きています。

 

 

 

サメに限らずクジラなどもそうですが、果てしなく広く深い大海原で生きていますから、何十メートルにもなる身体でも自由にのびのびと過ごしています。

 

 

 

 

 

 

 

これは、私が十代の頃に学校の先生が授業の合間に雑談で話してくれた話です。

 

 

 

 

成長すると何十メートルにもなるサメの子どもを、まだ小さいときに水槽の中に入れて育てる実験があったそうです。

 

 

すると、ある程度の大きさになると成長が止まるという結果が出たということでした。

 

 

 

 

詳しい数字は覚えていませんが、本来なら何十メートルにもなるはずのサメが、数十センチだか、数メートルだか、どちらにせよ途中で身体を大きくすることを止めてしまうのですね。

 

 

 

サメは小さい水槽の中で身体が大きくなると、身体があたって泳げません。

 

泳げないと死んでしまいます。

 

ということは水槽の中という狭い環境に適応しなければ生きていけません。

 

 

生きるための本能が身体を大きくすることを止めてしまうという結果になったのですね。

 

 

 

 

この話を聞いたとき、子どもながらに興味深く感じたのを覚えています。

 

 

 

 

解釈は人それぞれだと思います。

 

 

 

 

このサメのように、今ある環境に適応して生きていくことも生き延びるための1つの手段です。

 

 

 

確かに、社会に出ると、社会の環境に合わせて秩序を守り、自分の意思を通すことよりも、その他大勢が反感を示さない無難な言葉を選び、自分の生き方を考えることよりも、人からの評価をベースにおいた生き方をすることが、正しい社会人という風潮が根付いています。

 

 

社会の秩序を守ることは、人間社会に生きているのですから、当たり前です。

 

 

 

けれども、風潮に流されてしまい、“本当にこれでいいのだろうか?”と、疑問を感じる心までも失ってしまうのとでは話が別だと思いませんか。

 

 

 

中には、今置かれている環境に対して、ない物ねだりや他人のせいにばかりしている人もいます。それは自分の姿を冷静に見られていないことですから、批判する前に自分を見つめ直すことが大切です。

 

 

 

置かれている環境に文句を言って批判するだけでは、自分を成長させることはできませんから、自分も行動をおこさなければただの文句言いで終わってしまいます。

 

 

 

けれども、今ある環境に適応できるようになる方が生きやすい。

 

 

その考えもうなずけます。

 

 

 

 

 

ですが、この話をしてくれた時に伝えようとしていた解釈は少し違いました。

 

 

 与えられた環境の中だけにいると、これから先の可能性が小さくなる。

 

 

 小さな世界の中だけに収まっていると、見えるものも限られている。

 

 

 感じる気持ちや物事のとらえ方、そこからどう考えてみるのかの幅が広がらない。

 

 

 私たちは水槽の中のサメではない。 どこにでも歩いて行ける自分の足があるのだ。

 

 

 沢山のことを経験し、学び、自分の引き出しを増やすことで未来の可能性が大きく広がるのだよ。

 

 

きっとまだ子どもの私たちに、勉強する意味を教えようとした例え話だったのでしょうが、この話は大人である私たちにとっても大切な教えが感じられるように思いませんか。

 

 

 

 

私たち大人はいつから会社というちんまりとした小さな枠の中にお行儀よく収まり、自分の意思を持って行動することよりも、その他大勢の中に目立たないように馴染み無難に過ごすことが正義のように変わってしまったのでしょうか。

 

 

 

一度しかない人生、無難に収まることだけに終わってしまうのなんて、あまりにも勿体ないと思いませんか。

 

 

 

サメは、本当ならば何も考えることもなく果てしなく広い海で大きく成長し、自由に泳ぎ回れたのに、作られた枠の中にいたことで大きくなる可能性をすててしまったのです。

 

 

 

私たち人間は、子どもの頃には夢を抱き、好奇心を持って沢山のことに挑戦したり、無邪気に走り回って遊び、時には友人とけんかをしたり、転んでケガをしたりなどを繰り返しながら成長します。

 

 

 

そういった経験から、美しいものに感動したり、人の痛みを感じ取り優しさや思いやりを学び、時には悔しさを感じたりしながら、心も成長してきたと思います。

 

 

 

けれども、年齢を重ねていく中で、何のためなのか誰のためなのかよく分からないままに押しつけられる校則に支配され、学校が終わってからは「○○校合格率ナンバーワン」などの看板を掲げた塾に通い、いい学校に合格することだけを目標とする勉強に追われだします。

 

 

 

そしていつの間にか、美しいものを見て感動する心や、優しさや思いやりの心はどこかに追いやられ、むしろ人を蹴落として学歴を積み上げることに導かれて染まっていきます。

 

 

 

 

そこに疑問を感じる心があると、逆に社会のはみ出し者扱いにされ、白い目でバカにされてしまうこともあります。

 

 

 

そうして、社会の歯車にちょうどよく収まり個性を出さず、言われたことを素直に聞き入れる扱いやすい人間が量産されていきます。

 

 

 

 

知識はないよりも、ある方がいいです。

 

無知は自分の可能性を狭めてしまいますから。

 

 

 

 

けれども、少し考えてみてください。

 

勉強するということは、誰かと競い合い蹴落としていくものではなく、自分の知識を深めて考える引き出しや感じる心を豊かにしていくものではないのでしょうか。

 

 

 

 

 

小さい頃にはのびのびと夢を持って生きましょう!のように教えられていたはずなのに、成長とともに学校の規律、会社の規律など、それぞれの社会に出たことで、自ら小さな枠の中に収まる生活が正しいと教えられ、繰り返していきます。

 

 

 

そうすると、無意識にその小さな枠の中だけでしか通用しない考え方や習慣に染まってしまいます。

 

 

 

 

まるで水槽の中のサメと同じですね。

 

 

 

 

その“水槽の中のサメ”と同じ様に、今ある環境に素直に収まる生き方もいいかもしれません。

 

 

 

 

けれども、窮屈さを感じたり、グチや文句が溢れているのなら “なぜそう思うのだろう” と冷静に自分の心に問うてみるのも1つの考え方ではないでしょうか。

 

 

 

 

疑問を感じられることから始まる

 

 

 

 

疑問を感じることができれば、少し、遠くから自分の姿を見ることができます。客観的に自分を見たら、みっともない自分の姿に気が付くこともあります。

 

 

 

それが、環境を変えていく一歩目に繋がるのかもしれません。

 

 

 

例えば、理不尽な上司や組織の矛盾したやり方に腹が立っていたとしても、では自分はどうなの?と、自らを改善した方がいいだろうなと気づくこともありますね。

 

 

 

他者のせいにしてしまいがちなことも、まずは自分自身の考え方やしていることを見つめ直して、自分の姿勢を変えていく。

 

 

 

そうすると、少しずつ自分に自信が持てるようになります。自信が持てるようになると、冷静に周りが見えてきます。それまでの、ただのグチや文句だった言葉ではなく、意思のある意見が持てるようになると思います。

 

 

 

 

意見として、具体的な根拠、理由を含めて理不尽だと感じている上司や組織の人に伝えることができると、納得してもらいやすくなると思います。

 

 

 

 

また、自分自身の気持ちの持ち方や考え方という環境を整えてみると、ない物ねだりや周りのせいにしていたことに気付き、今あるものに“ありがとう”という感謝の気持ちが自然と湧いて出てくることが増えてくるように思います。

 

 

 

 

 

もし、それでも、腑に落ちないならば、思い切ってゴロッと環境を変えてみればいいのです。

 

 

 

 

 

 

 

環境は自分で変えられる

 

 

 

私たちは、水槽の中に入れられたサメではありません。実験台に乗せられたマウスでもありません。

 

 

 

感情もあり、考える力も持っている人間です。

 

 

 

考えてみてください。
少し年配の、高度成長期を駆け抜けてきた世代の方々は、1つの企業で定年退職するまで勤続40年などの働き方が一番正しい、社会人の鏡、とするところがありますね。

 

 

 

その方々の世代では、“転職 = 社会人失格” のような価値観があり、その価値観を持った大人に教育されてきた人の中には、その価値観の影響を受け継いでいる30代の若い世代の人もいて、「堪え忍ぶことが正しい。大人が正しいといった道を外れてはいけない。転職=負け組」などという人がいます。

 

 

 

確かに、1つのことを真面目にやり続けていくことは、簡単ではありません。

 

 

 

それを人生の半分はその会社に貢献し捧げてこられてきたわけですから、本当にすごいことですね。

 

 

 

そんな人生を送ってこられた方は企業戦士としてやりきった自信やプライドもあるでしょうから、その立場から見ると、転職することに対して、“辞め癖、飽きっぽい、こらえ性がない” というように映るかもしれません。

 

 

 

実際、その様な人も沢山いるでしょうし、直ぐに辞めてしまう理由として、「何となく…」「面倒くさいから…」「思っていたよりもしんどい…」 などがあげられると、そうではない人に対しても、会社を辞める人は情けない奴だ、と一括りにして頭から批判的な見方をするかもしれませんね。

 

 

 

 

けれども、今は時代が違います。

 

 

 

“いい会社に就職し勤めていたら安泰”とする時代は終わりました。

 

 

 

 

有名な大きな企業もあちらこちらで倒産したり、縮小しています。いつ職を失うか、リストラに遭うか分からない時代ですから、いい会社に入ったとしても何の安泰もなければ安心も保証もありません。

 

 

 

 

むしろ、その組織の中だけでしか通用しない仕事内容だったり、長年勤めている会社だという慣れから、あぐらをかきふんぞり返っていると、一歩出たときには乏しいスキルと知識しかないわけです。

 

 

 

 

小さな環境の中に無難に収まるようにしてきたわけですから、その中ではいい歯車として使えても、外では使えないわけです。

 

 

 

 

今いる小さな環境に疑問を感じたり、腑に落ちないおかしな体質を感じるのならば、一日も早く思い切ってその環境を飛び出してみる。

 

 

それは、情けないことではなく、むしろ、自分の可能性を広げる新しい一歩になるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 PS

 

 

 

 

私は、今はどんな経験も自分の財産になると思っています。

 

 

 

考えたり感じたりする引き出しが増えるのですから、1つのことに対しても色んな角度から柔軟な目で見ることができるようになると考えられるからです。

 

 

歳をとると新しいことに挑戦するのは、体力も気力も半端なくエネルギーを使います。

 

 

 

新しい環境に変えることも同じかもしれません。

 

 

 

 

 

最近、感じたことがありました。

 

無難に取り繕うことを習慣化されてしまっている人と話すと、その人は悪気もなければ、薄っぺらい言葉を意識して選んでいるわけでもないのですが、会話として何かを聞き返すと自分の意見や言葉が出てこないのです。

 

 

 

私は人と話すときに、無難な言葉のやり取りでは心に何も響いてきません。

 

 

 

私は、その知人と話しているときに「会社の同僚や上司と喋っているんじゃないんだよ。」と感じて思わず追求していました。

 

 

その人は、会社という1つの組織の中で人間関係にストレスを抱えているようでしたが、毎日休まず出勤し大学を卒業してからずっとその会社で頑張ってきていました。

 

 

 

けれどもその会社で自分の身を守るために、無難に過ごす毎日を送っている結果、自分の意見を持たなくなり、自分で考えた言葉を伝えることができなくなったのだろうなと感じました。

 

 

 

 

大卒という学歴もあり、それなりの企業に勤めていても、人と心の通った会話ができないなんて、悲しいことだなと感じてしまいました。

 

 

 

 

どうせなら、ぶつかり合ったとしても心に響き気持ちの通う言葉のやり取りができた方が、心豊かに過ごせるのではないでしょうか。

 

 

 

 

小さな世界に執着してしまうことで、大切なものを失う怖さすら見失ってしまうのかもしれませんね。

 

 

 

加藤あやめ

 

 

 

ブログランキングに参加始めてみました。

 


人気ブログランキングへ

 

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

 

 

 

雑談やコメントなど、いつでもお気軽にお便りくださいね。

 

 

お便りを送る→

 

 

加藤あやめのプロフィール→

 

 

トップページへ

関連ページ

その髪バッサリいくならちょっと待って!
何気なくカットに行き、切り落とした髪の毛は当然のようにほうきでかき集められて廃棄されているけれど、もしかしたらその捨てるだけの髪が誰かの生きる力の手助けになるかもしれません。『ヘアドネーション』知っていますか。
習慣に気をつけてみる
生まれた国や地域によって考え方や習慣に様々な違いがあります。日常の小さな社会の中でも人それぞれの価値観や習慣の違いがあり、それは1つの個性と考えることができます。身近な習慣について書いてみます。
『働きたくない』その気持ちに素直になってみる
無職で癌になった40代の加藤あやめが日常の中での発見や思ったことを綴ってみるページ。人によっても、どのタイミングなのかでも見る角度も違い選択肢も答えも無限。働きたくないのはなぜなのか。その気持ちの本音を考えてみる。
「美味しい物は今食べる。」今を生きる…
無職で癌になった加藤あやめです。今はパソコン1つでブログでネットビジネスをしています。生き方には人それぞれの価値観がありますね。でも、今をないがしろにしたり我慢ばかりしていたら後悔するかもしれません。食べたい物は今食べるから価値があるのです。
【自由に生きたい】海まで歩いてみた。
加藤あやめです。20年ほど生活の足だった車を降りて二足歩行に切り替えました。ですから、離れて暮らしている子ども達との最近のお出かけはもっぱら“歩き”です。けれども、歩く移動方法を基本にしたことから見えてきた景色も沢山あるのですね。
【気は病から】の方がしっくりくるのは私だけ?!
加藤あやめです。「病は気から」という言葉がありますね。確かに“気の持ちよう”と感じる体験は私もあります。けれども時には『気は病から』もあると私は思うのです。むしろ病気からであったり、今置かれている環境から心が壊れてしまうことの方が深刻なのかもしれません。
『当たり前』ではない今の穏やかな一瞬にありがとう
無職で癌になった40代のバツイチ加藤あやめ。数日のパートをしながら、癌の後遺症とぼちぼち共存して今日も過ごしています。月灯りが夜の闇を照らしています。心が穏やかにいられる今をありがとうとそっと黙ってつぶやきました。
『高校中退』は『大卒』にはかなわない?!
加藤あやめです。高校を中退し、どう生きていこうかと都会でのバイトの面接、実際を巧みに挑む若者にエールを感じながらも、無理をしないで!と、思うところがあります。人の価値や輝きは学歴だけでは光放たれません。惑わされず自分を信じる。
“ま〜るい私”がバロメーター。思い込みの常識から脱皮
加藤あやめです。大きい満月のように心が“ま〜るい私”を意識することが、自分らしい生き方に繋がるような気がします。会社組織で働くことが生活全体の基準になり、そこに疑問も感じないほど時間も心も支配されてしまってもいいのでしょうか。
“床もみじ”映し出されているのは自分の心なのかも…
加藤あやめです。京都の“床もみじ”の空間に神秘的な憧れを感じていました。ひっそりと静かな秋風の中に土や木々の優しい香りが包みこんでくれていると感じるからこその神秘。けれども最近はどこに行っても人の山。真の神秘的な癒やしの空間は消えてしまったのでしょうか。
日曜日が消える?!そしたら自由が増える法則
加藤あやめです。日曜日が消えると困りますか?私は日曜日も平日もあまり関係ない生活をしています。だから、うっかり日曜日に予定を入れてしまうと、とんでもないことになってしまうのです。日曜日を私の生活から消した方が自由に生きられる法則とは?
『一寸先は闇』思い通りにいくと思ったら大間違い!
加藤あやめです。40歳を過ぎて、今こうしてブログを書いたり、バツイチ独身で生きているなんて10年前には全く想像していなかったことです。“一寸先は闇”思い描く未来、思い通りの明日が来るなんて本当は奇跡なのですね。

トップページ 問い合わせ先 プロフィール 推奨教材