習慣に気をつけてみる




 

普段の習慣に気をつけてみる

 

こんにちは

 

 

加藤あやめです。

 

 

 

普段、私たちが何気なくしていることは、特に意識していなくても行っている行動が多いですね。

 

 

 

 

そして、多くの人はそれが“普通”のこととして過ごしていると思います。

 

 

 

 

 

けれども、それはあくまでも自分の習慣であって、誰でもが同じ習慣として同じ価値観のもとに“普通”のこととして共通しているかといえば、そうではありませんね。

 

 

 

 

 

例えば、  「朝起きたら顔を洗い歯を磨く」  という行動の中にも違いがあります。

 

 

 

 

 

起きて直ぐにそうする人もいれば、朝食の準備をして朝ご飯を食べてからする人もいます。

 

 

 

 

 

その違いにはそれぞれに理由があるのだと思います。

 

 

 

 

 

前者の場合は「まずは起きて顔を洗うことで目が覚める。寝起きは口の中が気持ち悪いから真っ先にきれいにしたい。」などがあるでしょう。

 

 

 

 

 

そして、後者の場合「先に食事の用意をしないと時間がない。食べると口の周りも汚れるし、食事をし終わってからきれいに歯を磨きたい。」と考えての行動だったりするのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

また、家族と一緒に生活をしている方なら、「先にパパが洗面所を使うから、ママは後に使う。子どもが使うと洗面所を占領する時間が長いから子どもよりも先に終えてしまおう。」など、バランスをとっている場合もありますね。

 

 

 

 

 

このように、理由はその人その人の生活スタイルやリズムによって違いが出てきます。けれども、清潔を保ちたいという価値観は同じ様に思います。

 

 

 

 

 

日々の何気ない習慣で自分が普通だと思っている他の人と共通した行動の中にも、そこに対する行動の仕方や理由は意外と異なっている事が多いのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

習慣には、本能的というか、動物的なものと、人間だからこそ生まれた文化的なものとがあると思います。

 

 

 

 

人間社会に特有の習慣は、自分の価値観だけではなく、他の人が持っている価値観からはどう見られているのかを、意識することも時には必要だと思います。

 

 

 

 

 

それは、世の中に合わせて同じ事をするのがいいと言っているのではありません

 

 

 

 

 

無意識にしている習慣、言いかえると生活の中の“くせ”になるでしょうか。

 

 

 

 

 

私は、そこに何の疑問も持たずに過ごしてしまうと、大切なことに気づかなかったり見落としたまま過ごしてしまうかもしれないと思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

少し想像してみてください。
例えば、電車の中で時々わきめもふらず鏡を広げて眉毛をかいたり、まばたきもせずにマスカラをぬっている女性を目にすることがありますね。

 

 

 

 

 

きれいに着飾ってデートにでも行くのでしょうか。それとも大事な仕事での移動なのでしょうか。

 

 

 

 

 

お化粧をして少しでも美しく見えるようにと一生懸命なのだろうなと思います。

 

 

 

 

 

けれども、その様子は少し残念な姿に見えてしまうことがありませんか。

 

 

 

 

 

スカートを着ているにも関わらず、お化粧に気を取られているからなのか、膝元が無防備に開いていてだらしなく映ります。

 

 

 

 

目元のお手入れに集中しているからでしょうが、口は半開きになりお世辞にもきれいとは思えません。

 

 

 

 

カバンを広げていますから中身が見えていたり、隣の席には微妙に空間ができてしまっててもお構いなくの様子で作業を続けていたりしますね。

 

 

 

 

 

彼女にとっては、彼とのデートの時に完璧なきれいな姿ができあがっていればいいという事だと思います。
あるいは、大事な取引先に着いたときにキリッと仕上がっていたらいいという事かもしれません。

 

 

 

 

 

同じ電車内にいる人は、他人ですから関係ないと言えばそれまでです。

 

 

 

 

 

けれども、もし横に彼がいたら同じことをするのでしょうか。  彼はどう思うでしょうか。

 

または、仕事上の関係者が偶然乗り合わせているかもしれません。

 

 

 

 

 

本人にとっては大きな迷惑をかけているわけではないからいい、という感覚なのかもしれません。

 

 

 

 

 

けれども、視点を変えると、ある意味自分を下げてしまっている残念な行動に映ってしまいます。

 

見習いたいとは思いませんね。

 

 

 

 

 

私たちが普段、無意識にしている行動には、繰り返しているうちに周りがみえなくなり普通の習慣となっていくものが多くあるように思います。

 

 

 

 

 

時には、普段自分がしていることに疑問を持ってみるのも大切なことだと思います。

 

 

 

 

グチや批判をする前に自分を見直す習慣をつける

 

 

 

 

今の例えがどう感じるかはわかりませんが、時には冷静に普段の自分のしていることや考え方を客観的に見てみることも大切だと思います。

 

 

 

 

私たちは自分の“モノサシ”で周りを見て過ごしがちです。

 

 

 

 

けれども、人の“モノサシ”から見たときに、どう映っているのかを少し意識することで、自分を成長させる視野が広がることがあると思います。

 

 

 

 

 

 

会社の上司や同僚のグチを、または仕事に対する不満を飲む席でぼやいている人達の集まりは、どこにでもよくある光景ですね。

 

 

 

 

私の場合は、若い頃を思い起こすと職場の人間関係の中では誰にも言えず、どちらかと言えば一人で抱えてしまうか諦める性格だったので、いっぱいいっぱいになると、その時に家族や友人にボソッと弱音をこぼすタイプでした。

 

 

 

 

 

グチを言い合える仲間がいるのは、誰にも何も言えず一人で抱え込んでしまっていることを考えると、救われるのかもしれません。

 

 

 

 

 

けれども、お酒の席でグチをこぼし合い酔っ払ってその場のうさ晴らしができたとしても、現実は何も変わりませんね。

 

 

 

 

 

何に不満があるのか、どうしたら改善されるのかを会社の中できちんと話し合ったり、提案してそれを実行できる組織にしていかなければ、昨日と何も変わらない不満ばかりの明日がまたきてしまいます。

 

 

 

 

 

そして、また、お酒の席でのグチ大会…。

 

 

 

 

 

きっと、同じ会社にいて同じ不満を持っている人同士だから、わかり合えて盛り上がるのでしょうね。

 

 

 

 

そんな時には、文句ばかりが吐き出されて、良くしていくための話し合いに繋がっていく流れはあまり無いように思います。

 

 

 

 

 

友人の話から感じたこと

 

 

先日、サラリーマンをしている30代の友人が同じ様にグチをこぼしていました。

 

 

 

 

その友人も、上司に理不尽なことを言われてイライラすると話していました。

 

 

 

 

「ある書類が見当たらないから探せ」と言われてそれが見つかるまでは他の仕事をするな、と指示されたそうです。

 

 

 

 

けれども、その書類は1年ほど前に、取引先から送られていた請求書で、今月その支払いをする事になり慌てているという内容だったのですね。

 

 

 

 

そもそも、そういう業務が多いそうなので、請求書ばかりを管理する仕組みはないのかと聞きました。

 

 

 

無いわけではないけれど、あるはずだと思っている場所に無いから探さなくてはいけなくなったというのですね。

 

 

 

もう、1年も経っていて、誰もが記憶に残っていないわけです。

 

 

 

 

 

でも、先方に支払いをすることが会社としては信用を失わないためにも先にしなければいけないことと考えますね。

 

 

 

 

どうしても出てこなかったのであれば、先方にお詫びをして期日までに支払えるように請求書の再発行をしてもらうことを考えると思います。

 

 

 

 

きちんと支払いをする意思表示にもなると思えます。

 

 

 

 

 

にも関わらず、先方に連絡も入れず紙切れを探すことを優先させるそうで、結局は日が経ってから再発行をお願いしたそうなのです。当然ながら期日は過ぎてしまっています。

 

 

 

 

友人の話では、
その上司は、自分の評価に傷が付きたくないのが理由で部下の仕事をさえぎってでも紛失を表に出さずに済ませることを優先したということなのですね。

 

 

 

 

会社全体の流れとしてどう動くべきかよりも、自分の身かわいさが丸出しだったという話でした。

 

 

 

 

 

確かにそこだけを聞くと理不尽な話です。
それに、会社全体のことを考えると支払いをする相手方との信頼関係を考えてもいい選択には感じられませんね。

 

 

 

 

 

友人の話によると、自分の勤めている会社をいい組織にしていこうという考えの人がとても少ないようです。

 

 

 

 

周りの上司は50歳を回った年配者が多く、穏便に定年退職を待つだけで、後輩を育てる雰囲気もなければ、同じ様なトラブルが起きないように改善しようとする動きも見せないのだそうです。

 

 

 

 

要は自分さえ良ければいいという上司ばかりだと言うのですね。

 

 

 

 

上司がそんな雰囲気だと、イライラもしグチも吐きたくなりますね。

 

 

 

 

大きな組織とはなんてドロドロしていて不自由な世界なのだろうと感じてしまいます。

 

 

 

 

でも、一方で、私はそう言っている友人は、どうなの?と思いました。

 

 

 

 

「上司が動かないのであれば、またこの様なことがまた起きないように、管理の仕方を考えませんか?のようなことを言ってみたの?」 と友人に話したのですね。

 

 

 

 

「分かってるけど、なかなかできないんだ。 それに言っても無駄だから。」と…

 

 

 

 

 

 

会社という組織に雇われていると、良くも悪くもその組織の中でつくられてきた暗黙の習慣があると思います。

 

 

 

 

知らず知らずのうちにその世界に染まっていってしまいます。

 

 

 

 

その時に気をつけたいのが、会社や他人の批判ばかりになり、自分を見落としていることに気が付かないことではないでしょうか。

 

 

 

 

 

私は、友人を非難するつもりはありませんが、人の文句やグチばかりを聞いていると少し気が滅入ってしまいました。

 

 

 

 

けれども、私も自分で気が付かないうちに、人の批判やグチをこぼしてしまっているかもしれません。

 

 

 

 

こうして人のしている様を客観的に見たときに、ふっと“自分はどうだろうか”と、見直すことを習慣にしていきたいなと気づかせてもらいました。

 

 

 

 

人を批判する前に、それを教訓にして自分を高められたら素敵だと思いませんか。

 

 

 

 

PS

 

 

 

 

習慣や思考のくせは、気が付かないうちに自分を支配していることがあるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

私は、 “気が付くこと” と、そこに “疑問を感じること” ができれば

 

心の豊かさと自由にも近づけるように思います。

 

 

 

 

 

“人の振り見て我が振り直せ”

 

 

 

私が、子どもにもよく使っていた言葉ですが、私にも言い聞かせたい好きな言葉の1つです。

 

 

 

 

 

加藤あやめ

 

 


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