自由に生きる“自立”と“自律”




 

自由に生きる“自立”と“自律”

 

加藤あやめ,自立と自律

 

こんにちは

 

 

加藤あやめです。

 

 

 

私がブログを始めたきっかけは、病気になったのが一つのきっかけでした。

 

 

 

40歳の時に癌がわかり、それから“生きる”てなんなのだろうといつも頭の中にモヤモヤしたものがあったのですね。

 

 

 

 

健康な人と同じようには働けない自分の身体と、
生きている以上生活をしなければいけない現実。

 

 

 

 

治療が終わったときには、生きる目的も見当たらず、沈みっぱなしの暗い気持ちで、これから先の現実に立ち向かう気力はもう残っていませんでした。

 

 

 

治療をするために生きていたところがあり、それが収束すると、その先の目標がなくて、まさに自分自身が空っぽの状態と言うのでしょうか。

 

 

 

でも、働かなくては食べていけない。

 

 

 

 

収入を、雇われて働くという“組織に依存する働き方”を前提で考えると、年齢や障がいの壁が高くそびえています。

 

 

 

そして、その壁の前に立ったとき、そこをよじ登る体力も気力もさらに吸い取られているかのような感覚になり、もう無理に壁に向かうのは私の選ぶべき進む道ではないと考えました。

 

 

 

 

せっかく生き延びたわけです。

 

 

 

言ってみれば、私のこれからの残った人生は、“おまけ”のようなものなのですね。

 

 

 

つまり、「辛い未来のために生き残ったのではない。」

 

 

と、日に日に強く感じたのですね。

 

 

 

どうせ生きるのなら、笑顔で、穏やかな気持ちで生きていきたいと心の底からその思いがどんどん湧いてくるのです。

 

 

 

“自分のペースで、自由に生きたい”という思いは、登ることができない壁を目の前にするたびに、私の心が私に訴えてくるのですね。

 

 

 

そして、自分の心が喜ぶような生き方をしなければ、あまりにも私がかわいそうだと思いました。

 

 

 

 

誰のためでもなく、私のために生きているんだと実感したいと思ったのですね。

 

 

 

“自由に生きたい”と

 

 

 

 

では、自由に生きるとはどういうことなのでしょうか。

 

 

 

自由とは、「自らに由る(みずからによる)」と書きます。

 

 

 

あくまでも、“自ら”であって“他”ではなく“自分”が基なのです。

 

 

 

そして、“由る”。

 

 

 

つまり、なぜ?という疑問と理由、その根拠や判断を自らが行うということだと考えられます。

 

 

 

それは、『自分で考え自分で判断し、自分で行動し、自分で答えを導き出す。』

 

 

 

 

そして、『自分の選択に責任を持つ。』ということなのだと思います。

 

 

 

 

ただ、私たち人間は一人で生きているわけではありませんね。

 

 

 

たくさんの人達のおかげで生活しています。

 

 

 

それは、家族や友人といった身近な人はもちろんですが、

 

まったく知らない大勢の人たちの力を借りていますし影響も受けています。

 

 

 

 

そういうたくさんの人達の見えない支えがある人間社会の中で、どう、自分が選択し判断していくことが、自分の心が一番納得できる生き方になるのか、を考えながら答えに向かって生きていくことが“自由に生きる”ということのように思います。

 

 

 

 

私は、“自分の選択に責任を持つ”ということは、何もかもを一人で背負いこむこととは違う気がするのですね。

 

 

 

 

もちろん、何もかもを一人でできる人がいたら、それはとても凄いですし敬う以外の言葉は浮かびませんが、その様な人は存在しないと思うのです。

 

 

 

 

例えば、お米や野菜を作ってくれる農家の方がいるからこそ、私たちはスーパーで食料を手に入れることができます。

 

 

 

 

住む家も、自分で山から木を切り倒して一から加工し金づちを持って建てているわけではなく、建築してくれる大工さんなどの力があることで家があるわけです。

 

 

 

一軒の家を建てるために関わる専門の技術者さんを考えると、単純に考えてみても何十人と関わってくれていることが想像できます。

 

 

コンクリートを作っている人、ネジや釘を作っている人、設計図を書いてくれている人、はたまたその資材を運搬してくれている人、、、。
数え出すときりがありませんね。

 

 

 

このように私たちが日常の生活をするためには、直接目に見えていなくとも、多くの人の力を借りています。

 

 

 

ただ、分かっていなければいけないこと。

 

それは、買い物をしたり、選んだりの、最終的な判断をしているのは“自分”ということです。

 

 

 

そして、その自分の導き出す答えは“自由”なのですね。

 

 

 

 

きっと、“自由に生きる”というのは、勝手気ままに生きるということではなく、自分で考え、判断し、出てきた答えに対して、他人が決めるのではない生き方のことを言うのではないでしょうか。

 

 

 

 

生きていると、様々なことがあります。

 

 

 

 

例えば、このような光景は多くの人が経験していることだと思いますが、“させられている感”を感じながら過ごしていることってありますね。

 

 

 

「親や先生に言われたから、あるいは職場の上司やエライさんの指示だから仕方なくイヤイヤしている。」

 

 

 

その理由に納得がいっていれば、イヤイヤであっても自分のためとして捉えることができます。

 

 

 

 

けれども、納得がいってないのにも関わらず、イヤイヤしていても自分のためになるとは思えませんし、そもそも、その行動を選択する必要すらないのかもしれないわけです。

 

 

 

それでも、従っているのは、ある意味自分で最終的に選び、その行動をしているのですから、自分で決め選んだ自由の中に入るわけです。

 

 

 

選んでいる以上、“させられている感”を出すのは本来矛盾しているのですね。

 

 

 

ということはです。

 

 

 

もっと心が納得し、自由を実感できる生き方とはどういうことなのでしょう。

 

 

 

私はこう思います。

 

“自由に生きる”ことの本質は“じりつ”して生きることなのではないかと。

 

 

 

 

“じりつ”と言っても、その解釈、とらえ方は単純ではありません。

 

 

 

一般的には、自分で生活していくことができる収入があり、社会的に一人前にと見られることを指すことが多く、経済的な面を捉えての“自立”が前面に出ている傾向があるように思います。

 

 

 

 

けれども、考えてみてください。

 

 

 

 

会社でバリバリ働きお金を稼いでくる人でも、お食事のことはサッパリできず、ほとんど外食で済ませるか奥さんに任せっきりで自分ではできないという人も、自立していると言えるのでしょうか。

 

 

 

お金があることだけが“自立”とは言えないように思いませんか。

 

 

 

 

また、小さな赤ちゃんを想像してみてください。

 

 

 

お腹が空いたり、オムツをかえて欲しい時には、精一杯の鳴き声を発して、自分の気持ちを表現します。

 

 

 

言葉がまだ話せない子どもでも、自分の存在を使える限りの表現力をもって意思を訴え、わかってもらおうとしてきます。

 

 

 

本能的に”お腹が空いているよ”という意思表示と、泣く選択をして親に気づいてもらうまでどんどん声を張り上げていく判断もしているのだと思いませんか。

 

 

 

長く生きてきた大人が、意思表示ができなかったり自分を持っていなかったりする中、生まれて間もない赤ちゃんは素直に表すことができます。

 

 

 

ある意味、“自律”していると考えられますね。

 

 

 

 

自由に生きるとは、“じりつして生きる”こと。

 

 

 

ただ、それは自分の思いや考え方、性格や価値観なども自分を創り上げている大きな要素であることをわかっていることが根底に必要な気がします。

 

 

 

そして、自分の意思を持ち、必要な時には自分で判断して他の人に表現する。

 

 

 

 

一人一人にとっての“自分らしい生き方”を考えることで、自分を律することになるように思います。

 

 

 

 

自律して自立することが、自分らしい自由な生き方となる気がしませんか。

 

 

 

 

まずは、自分がどう前に向きたいと思っているのかを素直に考えてみることが、自律につながり、その先が見えてくるのかもしれませんね。

 

 

 

私はせっかくの一度きりの人生ですから、自分のこころが納得する自分らしい“自由な生き方”を選択したいと思います。

 

 

 

そして、そう感じている人はきっと少なくないのだろうなと思うのです。

 

 

 

感じた時が、考えどきなのですね…。

 

 

 

加藤あやめ

 

 

 


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自分らしい、素直な笑顔がこぼれる明日を迎えたいですね。

 

 

追記

 

 

こんな事を考えたり思い悩む時間も、追われている毎日があると、とても貴重でかけがえのない時間なのかもしれません。

 

 

こういう思いを正面から感じられることは、もしかすると贅沢な時間なのかもしれませんね。

 

 

 

 

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