加藤あやめのプロフィール
【 名前 】 加藤 あやめ
【 生まれ 】 1973年
【 出身地 】 大阪府
【家族構成】
地方出身の両親のもと3人姉弟の長女として生まれる。
結婚して二人の子どもを授かる
離婚により現在は父と二人の共同生活
【趣味・好きなこと】
散歩 夕日 空を見上げること
一輪挿し 道ばたに咲く小さな雑草花
山の匂い 海の風 子どもの寝顔 音楽
簡単手抜き料理作り
あやめの気力の源 “大空”
加藤あやめのプロフィール十代
こんにちは
加藤あやめです。
私は、就職で大阪に上京してきたいわゆる“団塊の世代”の一般サラリーマンの父と、
お見合いして結婚した母の元に第2次ベビーブームの頃に長女として生まれました。
幼少期から小学校卒業までに、大阪近辺を何度も引っ越しをし、転校も繰り返していたため、
地元の幼なじみと呼べる友人はいませんが、他の土地に移ってみようとは思ったことがなかったため、今も大阪で暮らしています。
最後に転校した小学校ではあまり馴染む間もなく卒業の時期を迎えることになりました。
決して裕福な家庭ではありませんでしたが、私は幼い頃から病弱だったことと、
当時、校内暴力などが横行していたそうで、心配した母の提案で中学から地元の同級生とは違う音楽の多い学校へ進学しました。
子どもの頃の私は、周りの子の多くが習い事としてよく行っているお習字やソロバン、学習塾には縁が無く、
母の教育方針だったのでしょうが、野外キャンプや体操、その他、周りの知り合いがいないような習い事をしていました。
幼い頃の私が病弱だったことや、色んな体験をさせることで、活動や感性の幅を広げられる様にと考えてのことだった様です。
ですが、小学校の頃の私は引っ込み思案で、同級生との共通するようなたわいもない話に入れなくて、一緒に遊べる時間も合わなかったので、友達と過ごした記憶はあまり残っていません。
そんなこともあり、近所のお友達との繋がりが少ない小学生時代を過ごしました。
中学生からは、色んな地域の人が同級生でしたので、学校が終わるとバラバラでしたが、
高校卒業までの6年間をずっとともに過ごした友人なので、その後も10年ぶりくらいの間が空いても音楽を通して会う機会がありました。
地元から離れた学校に行っていた頃には、近い友達が居ないことを淋しく思う事もありましたが、今になるとそれも私の歩んだ道で、今があるのだなって思っています。
大人になれば、仕事や、結婚で住む地域が変わることはよくあります。特に女性は旦那さんの転勤だったり、嫁ぎ先により、多かれ少なかれバラバラになりがちだと思います。
それを思えば、近くに居る数多い知り合いよりも、たとえ遠くても気持ちの打ち解けられる少ない友人との繋がりが大事だなと、大人になってから気づかせてくれた6年だったのかもしれないなと思います。
〈第一章〉へとつづく…